近辺雑記

本日の一言(衣食足りて礼節を知る)

幸いなことに、地域の農家の方々と仲良くさせてもらっている。 仕事で農家回りをした時などは、立ち寄ると「おう、来たか。寄ってけ」と声をかけてくれ、長話をすることが多い。自分で言うのもなんだが、特に中高年のおじさんウケしていると思う。昔、研究の…

本日の一言(砂上の楼閣)

わたしの職場の管理職O氏の言動を聞いていると、この言葉をいつも思い出す。担当している仕事について、分かったようなフリをして、流行の言葉で飾り立てて喋ることが多いが、実際はその分野についての上っ面の知識しかなく、シロート同然である。仕事も丸投…

本日の一言(孔子)

「過ぎたるは及ばざるが如し」(孔子、「論語」) 職場の人が、同じ職場の管理職Aさんの仕事ぶりを見て使った言葉で、印象に残った。 やり過ぎは及ばないのと同じだ、という意。何事もほどほどに、ということであろう。中庸の道を説く孔子らしい批評の言葉だ…

次のステージへの挑戦(千利休の「守・破・離」)

今日、仕事の山場を乗り越えた。 今日のためにこの1ヶ月の間、残業・土日出勤のオンパレードの中で準備してきた。それをついにクリアーできたのである。充実感は確かにある。 あまり具体的に書けないのが残念だが、わたしの仕事の世界では、今日の業務をこな…

農家に学ぶ(家畜糞尿問題について)

仕事で農家回りをしていて、酪農業の糞尿問題について、興味深い話を聞くことができた。この農家の方の名前をここで仮にAさんとしておこう。 1. 北海道の家畜糞尿問題の深刻さ 北海道では道東や道北を中心に酪農業に携わる農家が多いが、近年、それらの地域…

死について考える

地域の知人がアクシデントに会い、今、死線をさまよっている。特別に親しかったわけでもないが、一緒に仕事をさせてもらう機会もあり、好感の持てる方だった。物腰やわらかで、品があり、笑いが絶えず、真面目な方。このような方が、どうしてこれほどの不幸…

1980年代後半にヒットした洋楽の思い出

1980年代後半にヒットしたスターシップ(Srarship)の「愛はとまらない」という曲を聴きながら、このブログを書いている。 今はもう聴いていないが、かつて私はアメリカのヒットチャートを熱心にチェックしていた時期がある。私が中学生だった1980代後半に、毎…

ホリエモンは現代の織田信長である

前回(3月28日)のブログで、既存の記者クラブ制度を壊そうとしているホリエモンは現代の織田信長である、と述べた。その趣旨を簡単にいうとこういうことである。ホリエモンのニッポン放送買収は、本人が自覚しているか定かではないが結果として、記者クラブと…

札幌と体調不良と英語スピーチ

先週末は札幌での友人の結婚式に参加。大学の同期生数人と話すことができ、楽しい時間を過ごした。一人の友人が新しい道を歩むと聞いて、そのチャレンジ精神にエールを送りたくなった。リスクを恐れていては何もできない。安定を求めて妥協するか、リスクを…

ベトナムより愛を込めて

ベトナム旅行から今日帰ってきた。 ホーチミン市に入り、中部の町ニャチャンを訪ねる1週間の駆け足の旅だった。4年半前の研究調査でもホーチミン市、ダラット、その周辺農村を訪れたことがあるが、当時より更に、市場経済化が進んでいる印象を受けた。ホー…

学問的思考と事務屋的思考

1. Aさんとの再会 先日久しぶりに、学生時代の調査時に会った土木コンサルのAさんに会った。 彼は土木分野の優秀な技術者で、近自然河川工法の分野では道内でも有名になりつつある方だ。長い実務経験に裏打ちされた技術は評価を得ており、札幌の大学の非常勤…

久しぶりのチェーンソーを使っての間伐作業

先日(10月29日)は、久しぶりにチェーンソーを持っての間伐作業をした。 普段、わたしは地域の森林管理に携わっているが、実際の仕事はデスクワークが多く、自らチェーンソーを持って山で作業をする機会はほとんどない。今回は、研修会でチェーンソーを使っ…

書き出しの記

はじめまして! World Wide Webのネットワークにつながれた皆様。 そして、ようこそ! 書評と映画評のひろばへ。 Haisaiと申します。 このブログでは、学生時代、社会人になってから読んだ本・映画・音楽などを取り上げ、自分なりの視点から批評したいと思い…