ホリエモンは現代の織田信長である

 前回(3月28日)のブログで、既存の記者クラブ制度を壊そうとしているホリエモンは現代の織田信長である、と述べた。その趣旨を簡単にいうとこういうことである。ホリエモンニッポン放送買収は、本人が自覚しているか定かではないが結果として、記者クラブという大手メディア保護体制への挑戦である。当然、既得権益者(ニッポン放送フジサンケイグループ記者クラブに所属する大手メディアなど)は一斉に猛反発している。この構図が、戦乱の時代、寺社や公家、各武将など既得権益者の猛反発を押し切り、楽市楽座という一大規制緩和政策を断行した織田信長と重なるのである。信長の楽市楽座は結局は成功し、経済の活性化につながった。ホリエモンの挑戦は、日本のジャーナリズムの活性化につながる可能性がある。詳細については3月28日の記事を参照してほしい。
 その他にも、服装や立ち振る舞いの面でも、ホリエモンと信長は似ている。
有名な話であるが、信長は18歳のとき、父の葬儀に汚れた普段着で現れ、抹香をつかんで父の位牌に投げつけて、周囲の年配者の不評を買ったという。既存の価値観を突き抜ける、強烈な個性が彼にはあったのだ。それはまさに、記者会見場にTシャツ姿で現れ、世のおじさんたちの大いなる不評を買いつつも、それを押し通し続けるホリエモンと同じではないか。「ネクタイしないのは無礼だ」とか「ものの言い方がなっとらん」とか世のおじさんたちは彼の振る舞いに対して批判的だ。そんな批判を受けながらも、ホリエモンは彼のスタイルを変える気配はない。彼には自分のスタイルを突き通す、信長的な強烈個性があるのだ。他の現代人では中田英寿も同じ匂いがする。
 いずれにせよ、わたしはホリエモンの破壊者としてのロールを高く評価したい。「彼には今後のメディアのビジョンがない」「ジャーナリズムに対する認識が甘い」としたり顔でホリエモンを批判しているメディアの人々は、安全な場所からいたずらに行為者を批判するのではなく、自分達も行為者になってメディアの現状を変えてほしい。具体的には、ヌルヌル記者クラブ制度を変えてほしい。それをしないで批判しているのなら、まさに既得権益者の遠吠えにしか聞こえない。
いまの既存の経済界のありようを、若者の視点から、ITという新興勢力の視点から、歯に衣着せぬストレートな表現で批判し、そして行動してくれるホリエモンの姿に、多くの若者が共感している。
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