死について考える

 地域の知人がアクシデントに会い、今、死線をさまよっている。特別に親しかったわけでもないが、一緒に仕事をさせてもらう機会もあり、好感の持てる方だった。物腰やわらかで、品があり、笑いが絶えず、真面目な方。このような方が、どうしてこれほどの不幸な目に会わないといけないのか、世の不条理を感じずにはいられない。生還してもいろいろ状況は厳しいが、とにかく生き抜いてください、と伝えたい。
 それにしても、死は人生の中で重い問題だ。これまで親族、友人、知人の死の時も感じていたことだが、今回でも改めて感じる。
 死は人間の意志の及ぶところではないから。必死で努力しても、死ぬときは死ぬ。「頑張れば何でもできる」「努力すれば報われる」などの、NHKの番組・プロジェクトXが好きそうなメッセージも、この死の問題ばかりは通用しない。遅かれ早かれ、人間は、生命は、死から逃れることはできない。死をめぐって、哲学や宗教が発展するのも分かる気がする。
 若すぎる死を見るのはつらい。悲嘆にくれているその家族を、その親族を、その友人らを見ているとつらくなる。特に急なアクシデントが原因の場合は、心の準備がまったくできていないから、その光景は悲劇的だ。昨日まで元気だった大切な人が忽然といなくなる。その急激なギャップに残された人たちはついていけない。呆然とする、途方に暮れる、悲嘆にくれる、わけもわからずに泣く。もうたくさんだ。
 病気でじわりと死んでいくなら、周囲にとってはまだマシと思う。看病の時間に、本当は伝えたかったこと、感謝の気持ち等を伝えることができる。「この人はもうすぐいなくなるんだ」と少しずつでも心の整理ができる。
 突然の死は、つらすぎる。Aさん、周りの人たちのために、どうぞ生還してください!