本日の一言(人生と友について)

 先日、久しぶりに大学時代の友人と会った。
 わたしは学生時代に沖縄のエイサー踊りに打ち込んでいた時期があり(2年弱の短い期間だが)、今回会ったのもそのサークルの面々だった。このサークルは、札幌でエイサー踊りに興味を持った人たちの集まりで、祭り好き、沖縄好き、いたずら好き、エネルギー過多、異常なほどノリの良いと、そんな子どものような大人たちが揃っていた。イベントや飲み会などは、太鼓を叩き、はしゃぎ、叫び、暴れるという、正真正銘のお祭り騒ぎになった。
 わたしにとって、このエイサー隊はとても居心地の良い空間だった。彼らとともにはしゃいだり、いたずらしたりしていると、頭が真っ白になるくらい愉快で、日頃のうっぷんなんてすべて吹っ飛んでしまった。掛け値なしに楽しい! ストレス発散の絶好の機会でもあった。アンドレ・ジッド*1は「友人とは、それといっしょに悪いことをしてみたくなるような人間をいう」と言ったが、わたしにとってエイサー隊の仲間は、ジッドのいうところの友人だった。
 その関係は今でも続いている。札幌に行ったら、しばしば練習に顔を出し、そして飲み会、カラオケのフルコースで遊んでいる。あまりに激しい夜になるので、運動不足のこの身にはややつらい時もあるが、わたしのありったけのエネルギーをぶつけ、その場を楽しみ尽くす。こんな貴重な時間をみすみす無駄にしてしまうほど、わたしは愚かではない。だからとにかく、今ここを楽しむ。
 バカ騒ぎするのも時には必要だ。人間は機械ではないから、効率化され、秩序化された労働の日々だけでは生きていけない。人間は感情の動物なので、感情を発露する機会を担保されなければいけない。定期的に、溜め込まれたエネルギーを爆発させ、歓喜し、騒ぎ、発散することが必要だ。そうやって非日常の空間を定期的に作り、ガス抜きすることは、日々の秩序の形成の面からも重要なのである。人類学の研究では、かつてはその機能(非日常)は地域の祭りが担保してきたのであり、「まつりは、文化の中で、日常生活の時間や空間の拘束を離れたところで生きなおす機会を人間に与え」ていたのである社会学辞典、831p)。

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 話が脱線してしまった。エイサー隊の友人の話に戻そう。いずれにせよ、今回、エイサー隊のメンバーと久しぶりに会い、友人の良さを、友人の大切さを改めて痛感した。我々の人生にもし友人というものがいなかったら、我々の人生はいかに淋しいものになるだろうか。いかに無味乾燥な人生になるだろうか。劇作家のつかこうへい氏は次のように言う。

心から打ち解けてつきあえる人に、年に何人出会える?…・・オレの実感では、せいぜい三人。一生で二百人程度。人間一人が生きたあかしは、その二百人とのつながりの中にあると思う(つか こうへい、朝日新聞1998年6月21日)

 わたしも友人とのつながりの中に、自分の生きるあかしを見出していきたいなぁ。
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*1:アンドレ・ジッド(Andre Gide,1869年11月22日 - 1951年2月19日)。フランスの小説家。既成キリスト教的道徳・倫理からの解放を訴え、欧州の広範囲に渡って文学的影響を与えた。1947年にノーベル文学賞受賞。