NHK「その時歴史が動いた」を見て人間の忘却性について考えた

 先日、NHKの番組「その時歴史が動いた」の「中国と国交を回復せよ〜足利義満の日明外交〜」の再放送を見た。 内容は、室町幕府・三代将軍の足利義満の日中国交回復の取り組みを描いたものであった。足利義満は、100年前の蒙古襲来の侵略のトラウマが日本国内に残っているなか、500年にわたる国交断絶を乗り越えて、中国・明との国交回復を成し遂げたのである。
 この番組をみて思ったことは、人間の記憶の忘却性についてである。社会の記憶の忘却性と言っても良い。今回の番組でははっきりと明示されていなかったが、わたしはこの時代に日中国交回復が可能になったのは、蒙古襲来から100年たったという時間の流れ要素もあると思った。まだ襲来から10年、50年後であったら民衆の中国トラウマが強烈だから、いくら義満が努力しても成功しなかったであろう。もちろん中国サイドの意向もある。しかし100年も過ぎれば民衆や社会の記憶も薄らいでくるから、日中国交回復への反発も少なくなっており国交回復が成功したのではないか。
 自分自身もそうだが、強烈な体験をして心に刻まれた記憶でさえ、月日の流れとともにどんどん薄らいでいく。そして当時ほどのインパクトは持たなくなる。人間は忘れていく動物だ
 ましてや社会の記憶というのはもっと心もとない。自分が体験していなくて知り合いから聞いたこと、親の世代等から聞いたことなどは、当然のごとく当事者と比べれば記憶刻印度やインパクトも低い。伝聞による記憶は体験による記憶よりはるかにインパクトが低い。その分、忘却速度も速くなっていく。
 わたしの感覚からすれば、社会の記憶も3世代くらいが限界ではないかと思う。もちろん知識として継承されるケースはあるだろうが、社会を動かすほどのモチベーションを持った記憶としては3世代が限界なのではないか。3世代といえばちょうど100年くらいのスパンだ。このような問題意識があるので、今回の「その時歴史が動いた」で、蒙古襲来から100年と聞いたときに私はその要素にピーンときた。
 この人間、社会の記憶の忘却性は、いろいろな側面をもつ。たとえば今回の番組の日中国交回復の場合は、隣国との関係が正常化したという点からみれば、人間の記憶の忘却性は社会にとってプラスに働いたことになる。また大切な人を事故で亡くしてしまったり失恋などの悲しみは、「時間が解決していくれる」としばしば言われる。直後は、心が引き裂かれんばかりの苦しみに襲われるが、歳月の流れとともに癒され、時が経てば、それらの思い出と正面から向き合えるようにもなる。こういうケースを考えると、人間が生きていく上で、忘れていくことの大切さを痛感する。
 しかし一方でどうだろう。今、季節モノとしてさかんに報道されている広島・長崎の原爆投下の報道。これは終われば終戦の報道が洪水のようにメディア上を流れる。終戦から60年が過ぎた。テレビや新聞などのメディアは盛んに「原爆投下の記憶を忘れてはいけません」「戦争の悲惨さを忘れてはいけません」と言うが、実際問題としてこの問題に対する社会の忘却スピードは速まっていると感じる。100年経てば原爆や戦争体験者もいなくなり、原爆投下のニュースも日本の長い歴史の1ページとしてしか扱われなくなるかもしれない。これはある見方からすれば、人間の記憶の忘却性が社会にとってマイナスに働いているケースといえる。同じような事象として、国後島択捉島などの北方四島返還運動にも感じる。どうみてもこの運動は年々尻つぼみしている。
 以上、「その時歴史が動いた」を見ていて、このようなことを考えた。人間、社会の記憶の忘却性は、ある側面から見ればプラスに見えるし、違う側面から見ればマイナスに見えるという不思議。このような社会事象の二律背反性を考えると、人間や社会について考えたり発言したりするとき、単純に理解しては絶対にダメだな、とつくづく思う。社会事象は見方によってまったく違った見え方をする場合もあるので、徹底して相対化して理解しないとダメだな、と感じる。そういう意味では、「戦争は絶対にダメ」というメッセージに対してさえ、わたしは疑義を持つ。
 社会事象を相対化した先に何が見えるのか。その先には、哲学の道がつづいていると思う。
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