吉永小百合,豊川悦司,渡辺謙「北の零年」
北の零年 通常版 | |
吉永小百合 行定勲 豊川悦司 東映 2005-07-21 売り上げランキング : 5,288 おすすめ平均 まさかこんなカッコいい作品だとは 謙さん、帰って来ちゃったの。。 エンタテイメントと割り切ろう。 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
1 史実にもとづく北海道開拓の風景
本作品は、明治維新初期に北海道への移住を命じられ、静内に移住させられた四国・淡路の稲田家のひとびとの開拓苦労物語である。開墾にとても苦労した、冬の寒さが厳しかった、子供が死んだ、先住民のアイヌの人々と良好な交流があった。この辺りまでの物語展開はリアリティがあってよい。わたしもこの手の話は郷土史を読んで知っている。村を救うために札幌に出かけた夫が帰ってこない、農家の妻は生きるために金持ちに体を売った。この辺りのエピソードももしかしたら本当にあったかもしれないので、まぁ許せる。
2 奇妙な物語の展開
しかし、その後の展開がいただけない。札幌に行って行方不明になった夫(渡辺謙)が政府の高官になって帰郷する。夫は都会で別の妻と結婚しており、それを聞いて元妻(吉永小百合)はショックを受ける。しかも元夫は、戦争のために元妻が育てた馬をすべて取り上げようとする。村人みなが反発する。アイヌの人たちも加勢する。しかしその一人(豊川悦司)は実はアイヌではなく、戊辰戦争の落武者(和人)だった。彼は政府に捕まってしまったが、また帰ってくることを誓う。馬は逃げ、政府に没収されずに済んだ。よかった、よかった。最後は、主人公の元妻(吉永小百合)が、「生きている限り、夢見る力がある限り、きっと何かが私たちを助けてくれる」というようなことを言って物語は終わる。
明治維新の混乱を一つの村を舞台にしてドラマティックに描きたいのは分かるが、夫は都会で結婚していた、なぜか政府の高官になった、しかも高官として村に戻り妻の財産(馬)を取り上げようとする?、村人の反乱によってそれを防ぐ、こんな奇妙な物語展開はリアリティがまったくないし、ドラマティックでもなんともなくただ興ざめする。
3 あまりにも陳腐な最後のセリフ
しかも吉永小百合の最後のメッセージ「生きている限り、夢見る力がある限り、きっと何かが私たちを助けてくれる」は、取ってつけたようで、あまりに陳腐なセリフだ。視聴者をバカにしているのか、と言いたくなった。
北海道では戦後におよんでも開拓は続いていたが、多くが失敗して、この土地を離れていった。北海道開拓では、夢をもって頑張っても報われない人たちがたくさんいた。むしろ報われない人たちの方が多かった。それが現実。その歴史的事実を無視して、夢を持てばかならず将来は明るくなる? あまりに予定調和的な、安易な、陳腐なセリフだ。人間社会は、夢を持ってかなう人がいる一方でかなわない人もいる。その不公平な部分が人間社会の悲しいところで、ドラマティックな部分なのではないか。史実にある程度基づきながらこの映画は作られたのだから、人間社会の最低限のリアリティくらいは担保してほしかった。
4 勉強になった部分
それでも勉強になったシーンはいくつかあった。武家社会が明治維新により解体されていく展開がすこしわかった。昔の家臣は役所のお茶酌み係になったり、また新政府の役人になったりした。昔の上司はいまの部下、みたいなことが日常茶飯事で起きたという。明治新政府の廃藩置県などの近代化政策によって、武家社会の上下関係が解体されていったのである。明治維新が日本社会に及ぼした影響の大きさを改めて感じた。
またアイヌと和人との良好な関係という設定も良かった。これまで松浦武四郎や本多勝一氏のレポートではないけど、アイヌと言えば悲劇の存在で、和人との悪い関係ばかりクローズアップされることが多かったが(もちろんそれはそれで事実なのだけど)、これだけ複雑な人間社会のこと、実際はこの物語にあるようなアイヌと和人の良好な関係の実例もあったことだろう。そこに着目して描いてくれたのは視点として新鮮だった。
最後に細かいツッコミだけど、前半部のシーンで、開拓で木を伐採し搬出するシーンがあったけど、あそこで搬出されている材の一部にカラマツ材があった。映像的には分かりにくく編集してあるので制作サイドもそのことを認識していたのかもしれないが、森林技術者の人なら見抜けてしまう。カラマツは北海道の郷土種ではないので、当時の明治初期の村に材としてあるはずがない。細かいことだけど森林技術者としてはそういうことは気になる。
本作品のロケ地は、北海道夕張市、静内町、浦河町、浦幌町だ。
(私の評価★☆☆☆☆)
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