城山三郎「雄気堂々」

雄気堂々〈上〉
雄気堂々〈上〉城山 三郎

新潮社 1976-05
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雄気堂々 下    新潮文庫 し 7-4雄気堂々 下  新潮文庫 し 7-4
城山 三郎

新潮社 1976-05
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 近代日本の経済界に大きな足跡を残した、渋沢栄一の生涯をダイナミックに描いた伝記。幕末維新の激動に呑まれながらも、たくましく、かつしたたかに生き抜き、合本組織(株式会社)をつくり、銀行の創設に尽力した。渋沢が設立に関わった企業は、東京ガス東京海上火災保険王子製紙秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテルなど多種多様に及び、その数は500以上とされている。超人的経済人である。また大蔵官僚時代に設立を指導していた第一国立銀行の総監役に就任した。第一国立銀行は、日本銀行創設以前には紙幣発券が認められていた特権的な銀行であり、その後、離合集散をへて、第一勧業銀行、現在のみずほ銀行につながる。みずほ銀行の父、と言えるかも知れない。また渋沢は都市銀行だけでなく、七十七国立銀行など多くの地方銀行の設立にも尽力した。渋沢は、日本の資本主義経済の基礎を築いた人物のひとりといっても過言ではないだろう。
 本書は渋沢のサクセスストーリーであり、幕末維新の激動のなかでの彼の躍動が手に取るようにわかる。大久保利通西郷隆盛伊藤博文ら幕末維新の猛者たちがキラ星のごとく登場し、彼らの人柄や行動が丁寧に記述されている。最後の将軍の徳川慶喜も登場し、幕末期は大久保利通と激しい主導権争いをし、当初は慶喜有利な形勢だったことなどは今回はじめて知った。話のテンポが良く、内容も刺激的で、楽しく読んだ。娯楽小説としても通用する作品だ。
1 渋沢栄一の哲学
 渋沢という人のスタンスに共感を覚えた。ここで描かれている渋沢像が正しいとすれば、渋沢のその徹底的な現実主義ぶりには共感を感じる。
「理想は抱きながらも、その段階段階に応じて、最高の生き方を選んで行く。その意味で、栄一はあくまで現実主義者であった」(上巻194-195p) 
 これはわたしが以前このブログで触れた21世紀の規範のひとつ、「積み上げ型理想家」そのものである(21世紀の倫理を考える④)。つまりこれからの21世紀の倫理として必要なものは、理想を持ちつつも急激な変化を目指すのではなく、歩みは遅くとも現実を踏まえた上で、一つ一つ積み上げて理想に向かうようなスタンス、積み上げ型理想家でなければならない。この規範と上記の渋沢の哲学はほぼ重なっている。また次の言葉も彼の現実主義者ぶりを象徴する記述である。
「(精神だけではあきたりぬ。実が伴わねばうそだ)というのが、その後、栄一の一生を貫く態度になった。栄一は、いつも、方法を、効果を、問題にした」(上巻234p) 
 理想だけ吼えていてもしょうがないよ、結果をちゃんと出せよ、というスタンスである。渋沢のこのような哲学を聞いていると、そういえば幕末期に同じような哲学をもった人物がいたなぁ、と思い、ハタと「あっ、それは坂本竜馬だ!」と気づいた。竜馬ももちろん理想家であり理想のために生きた男だが、彼は現実主義者の側面ももっていた。結果を求め大きな理想だけに囚われなかったからこそ、薩長同盟という大仕事を彼は果たすことができた。竜馬がもし幕末維新の混乱のなかで死ぬことなく生き伸びていたら、もしかしたら渋沢のような経済人になって成功していたかもしれない(司馬遼太郎「竜馬がゆく」)。歴史に「もし」は禁物だが、それでも竜馬に関してはその禁を破って空想してみたくなる。
2 めちゃくちゃな権力闘争 
 「ポスト小泉をめぐってこれから自民党内で激しい権力闘争が起こる」みたいな言説が流布してメディアを賑わせている。麻垣康三(あさがきこうぞう)なる言葉がメディアで作られ、次期総裁候補の4人(麻生太郎谷垣禎一福田康夫安倍晋三)の出来レースだと煽っている。新聞やテレビなどで興味本位にこの4人を取り上げているのを見ると、今のメディアって本当に野次馬根性丸出しだなぁと思う。選挙の時は「政策!」などというが、選挙が過ぎればこういう政治ワイドショーを展開する。「国民のニーズがあるから、視聴率が取れるから」といつも言い訳するが、ネタを決めて煽るのはいつもメディアの側である。昨年の総選挙後の杉村太蔵ネタや、今回の民主党メール問題の永田ひさやすネタは、あれほどしつこく追い続けるほどのネタなのだろうか。その一方で報道孤児になってしまった格差社会の問題や、4点セット(防衛施設庁の官製談合事件、ライブドア事件、米国産牛肉輸入問題、耐震データ偽装事件)の方がわれわれ国民の幸せにとって100億倍くらい大事なネタなのではないか。自分達でウケそうなネタを勝手にもってきて、さんざん煽っておいて、飽きてきたらネタを捨てる。メディアのマッチポンプ
 脱線してしまった。自民党の権力闘争の話をしていたが、考えてみると、現代政治の権力闘争の激しさなんて、維新後のそれの激しさと比べたらかわいいもんである。本書では、大久保利通西郷隆盛伊藤博文江藤新平という維新後に政府の中枢にいた人物の権力闘争の内実を生半しく描いている。当時は権力闘争にやぶれることは、そのまま死に直結した。維新後の薩長支配に反旗をひるがえした江藤新平は、大久保利通らとの権力闘争に敗れ、佐賀で挙兵するものの制圧され、裁判らしい裁判もせず、死刑に処されその首は河原にさらされた。勝ち組の大久保は、江藤の死刑が決まると日記にこう書いた。「江藤醜体笑止なり」(下巻204p)
 明治維新の英雄中の英雄だった西郷隆盛も、政府内を二分した征韓論争に破れ、薩摩で兵を挙げるが破れ、最後は切腹した。その圧倒的な政治力で権力を一身に掌握した大久保利通も、明治11年(1978年)に出勤途中に士族の郎党に襲われ絶命した。咽喉に脇差3本と長刀1本を突き刺されるという残忍な殺され方であった。
 いまの政治家の権力闘争は威勢のいい言葉は飛び交うかもしれないが、明治初期のそれように命を落とすまでのことは少ない。われわれが生きる日本社会は、明治初期の激しい権力闘争、優秀な人材の命が犠牲になるなかで、形づくられ、いまに続いているのである。

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(私の本書の評価★★★★☆)
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