コンラッド・タットマン著,熊崎実訳「日本人はどのように森をつくってきたのか」①

日本人はどのように森をつくってきたのか
日本人はどのように森をつくってきたのかコンラッド タットマン Conrad Totman 熊崎 実

おすすめ平均
stars本の森林について学ぶ人の必読書
stars森林から見た日本の歴史
stars昔々の森の話。

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 古代から近世までの日本の森林管理の実像を、通史として知る上の最良の書であろう。
 著者のコンラッド・タットマン氏は元エール大学の歴史学教授だが、歴史文献学が専門で、本書において日本の古代・中世・近世の森林管理の姿を、コンパクトであるが包括的に分かりやすく扱っている。タットマン氏の日本の歴史に対する造詣は深く、まるで日本人研究者が書いたような内容になっている。
 林学専攻の大学生が読む教科書に半田良一編「林政学」があるが、古代からの近世までの記述はわずか6pしかなく、歴史の記述は明治から現代までの森林管理史に重点が置かれている。もちろん近代以降の歴史も重要だが、社会は歴史という連続性の上に成り立っているため、それ以前の歴史を押さえることも重要だ。ましてや日本の森林管理は本書の訳者の熊崎実氏がいうように、「…明治維新と第二次大戦で国家の体制は大きく変わったものの、森林の利用と管理に関するかぎり、徳川期に形成された基本的な枠組みはそれほど変化しなかった」(9p)のであるから、徳川期の近世の森林管理のあり方は、現在システムを考察する上で重要な手がかりとなるはずだ。あとで見るように日本の造林技術は近世期に確立した。
 専門的なので、森林管理について予備知識がない人にとっては少し難しい本かもしれない。しかし丹念に調べながら、時間をかけてでも読むに値する内容だ。
 以前、知り合いの先生が「このような研究をなぜ日本人研究者はやらないのか? なぜ外国人に先にやられてしまうのか?」と言っていた。本書で触れられている細部ではいくつか議論の余地がある部分もあるそうなので、最新の研究成果を踏まえて日本人の手による日本の森林史への挑戦も期待したい。
林政学林政学
半田 良一

文永堂出版 1990-01
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1 日本の森林史の3区分

 日本の歴史で深刻な森林消失が見られた時期は三つほどある。その最初のものが、律令国家の成立過程で見られた古代の略奪期(600〜850年)。2番目が秀吉・家康の諸国統一に象徴される近世の略奪(1570〜1670年)。3番目が太平洋戦争とその後の復興期の20世紀中ごろに起こった。林野庁の1950年の調査では、森林蓄積量の全国平均は67m3まで落ち込んだ(4-5p、30p)。

 この記述を読んでいてわたしは北海道の森林消失の歴史に思いを馳せた。
 北海道における森林の略奪期は明治の開拓以降の100年間だが、本州との略奪タイプとの違いは、本州の森林伐採は木材利用と密接に結びついていたが、北海道は必ずしも木材利用と結びついていない。北海道は農地開発が何よりも最優先であり、森林は邪魔者で、必ずしも木材利用はされなかった。搬出条件の良い場所は搬出して利用されたが、条件の悪い場所は火入れ開墾や伐採後の焼却などで、貴重な森林資源が無駄に浪費された。繰り返しになるが、木材より農地を作ることがまず大事だったのである。そうして北海道の豊かな原生林は次々と消えていった。
 滋賀県知事の嘉田由紀子氏の「もったいない」政策でいえば、北海道の開拓は実に「もったいな」く、木材の膨大な無駄遣いによって進んだ。本州の森林略奪の方が、資源の有効活用という点で言えばよっぽどマシだった。現代の南米アマゾン原生林の開発も火入れ開墾が多いと聞くので、北海道の略奪史と似ているのかもしれない。

近代までの日本は、建築といえば木造建築が主流だった。建築ブームとなれば必然的に伐採圧力が増大した。
日本人が木材に極度に依存する建築の伝統をつくってきた…この列島には豊富で多様な石材があるのだが、石材は記念建築物や通常の建築物の主要な材料にはならなかった。…もともと木材はほかの材料より扱いやすかったし、より快適な住まいをつくるのに適していた(93p)。

 木造建築に関係してこれだけの技術群、技術力があるのは日本だけではないだろうか。それだけ日本人は、扱いやすく温かみのある木材を昔から重宝してきた。カンボジアアンコールワットインドネシアの遺跡など、あれだけ豊かな熱帯雨林に囲まれた地域でさえ石材で建築物を作ってきたことを考えると、日本建築の木材依存は世界的にみて非常に特異なのではないか。この日本の特異性、独自性を今後も大切にしたいところだが、最近は市場経済の名の下、その木材文化も衰えつつあるのかもしれない。


2 第一期:古代の略奪期

 7世紀にアジア大陸から大規模建築の技術が導入されると、途方もない建築ブームが引き起こされ、木材伐採が異常に増加する。日本初期の統治者たちが首都をおいた畿内流域の森林は、その生産能力をきびしく試されることとなった(23-24p)。
 大和の天皇を中心とする政府は頻繁に都を移転させた(34p)。
 神社仏閣の建設ラッシュ、法隆寺薬師寺東大寺など。東大寺は直径120センチ、長さ29mの長材を主柱として84本使った。2万8千m3の木材が使われた推計がある(37p)。
 仏像などの彫像 飛鳥時代(550-650年)にはクスノキが使われ、中国大陸のビャクダンに代わるものとされたが、資源が枯渇するとヒノキが広く使われるようになった(40p)。
 丸木舟 スギ、クスノキが利用された。

 この時期から近世までは採取林業の時代。林地の利用者は、林地の保護や収穫後の回復にほとんど関心を払わなかった時代。


3 第二期:近世の略奪期 

織田信長安土城建設、高さ36m。ケヤキは重い荷重に耐えることから梁や柱に使用された。姫路城、亀山城岡山城
豊臣秀吉大阪城の造営
徳川家康 河川改修や船の建造などで水運、海運を大幅に改善した(77p) 日光東照宮
森林管理が急務になったのは17世紀においてである。広い面積の土地が開墾され、過伐が進んだことで、侵食被害が下流におよぶようになり、木材不足の社会的影響が大きくなったからである(100p)。
育成林業の時代。18世紀末までに育林技術がおおむね確立され、広く実行されるようになった(26p)。