コンラッド・タットマン著,熊崎実訳「日本人はどのように森をつくってきたのか」②

日本人はどのように森をつくってきたのか
日本人はどのように森をつくってきたのかコンラッド タットマン Conrad Totman 熊崎 実

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4 近世における造林技術の確立〜植栽

…造林書や林業関連の公式・非公式の指針にあらわれる主要なトピックスをまとめてみると、実生造林、挿し木造林、保育の3つにくくることができ…(135p)
…植栽本数については意見が大きく分かれている。ある者は密植して間伐することを勧め、ある者は疎植してあまり間伐しない方法を推奨する。これは地理的、生物的、経済的な状況の反映であって、たとえば補植が必要かどうか、間伐材の市場があるかどうかに左右される(137p)。

 後者の密植・疎植の議論は今でもある。
 現在の植栽本数の議論は、疎植で植えてあまり間伐しない、という方向性が徐々に主流になりつつある。その背景には、苗木価格の高騰、造林作業経費の高止まり、木材販売単価の低迷など林業経営を取り巻く環境の厳しさがある。北海道も政策的に「植栽本数の低減!」と盛んにアピールしている。
 近世と現代の違う点は、「密植」と一言で言ってもそのレベルがまったく違う点だ。近世の植栽本数は「坪当たり3〜4本」「(坪当たり)10本までとしている例も」(137p)ということだから、坪当たり3〜4本なら1本当たり占有面積1m2で、ha当たり本数に直すと1万本/haというものすごい数になる。坪当たり10本も植えたなら、なんと3万本/haにもなる。農業全書((1697年)を記した宮崎安貞も、スギの場合は小柱(DBH10センチ程度)をとることができれば1万本/haの密植を奨めている(140p)。
 最終的な仕立て本数が400〜700本程度と想定すると、これだけ密植すると9割以上の苗木が無駄になる。苗木の安さ、植栽経費の安さ、活発な間伐材市場の存在の3拍子揃わなければ不可能な施業法だ。近世の林業地帯はその条件を満たすことができたのであろう。また近世の造林書は、毎年の補植を必須の作業と見なしている(139p)。現在と比べ、苗木の初期成長時の枯損率が高いという側面があったのかもしれない。
 現在では、いくら「密植」と言ってもせいぜい4000〜5000本/haくらいではないか。かつての治山事業地は、山地保全ということで万全を期してこのような密植の現場が多く見られた。しかし最近はあまりやらない。標準で2500〜3000本/haくらいだ。


5 近世における造林技術の確立〜間伐・枝打ち 

 林業地帯の吉野地域の施業法は、スギを1m間隔で植え(1万本/ha)、根元直径が6〜10センチになった時に間伐を始めて、伐期までに間伐を10回以上繰り返し、得られた小径木は販売する。最終伐期には立ち木は3.6m間隔で育てて(800本弱/ha)成熟させ、高品質の板材がとれるようにするというものだった(141p)。この「密植・多間伐・長伐期」という吉野独特の施業で、かん満で緻密で通直な材が生産できたため、江戸時代から昭和初期にかけては酒樽・樽丸用として利用された。

 吉野地域では、程度の差こそあれ、「密植・多間伐・長伐期」という独自の施業法が残っていると思われる。
 以前視察に伺った三重県の速水林業では、ヒノキ人工林では60年伐期で、間伐を8回、枝打ち4回をやり、最終仕立て本数300本/haとしていた(残念なことに植栽本数を聞くのを忘れた)。また実際に見たことはないが、京都の北山杉は無節材を作り磨丸太として出荷するため5000本/haの密植と、3〜4年ごとの枝打ちを繰り返している。北山杉は特に長い歴史があり、「1460年ころ茶室用の小丸太を生産すべく朝廷の荘園で始められた」(63p)という。

 枝打ちについては、当時より必要なものとして認められていた。反対する意見もあったが、それは燃料を得るための手段として枝打ちをする場合であり、過剰な枝打ちに対しての警告であった。枝打ちは一般的には、「表面が平滑で、木目がまっすぐな木材を生産するため奨励された」(141〜142p)。


6 独自の施業法を確立するための条件
 吉野や北山のような独自の施業法が確立するための条件は、独自の利用法があることだろう。吉野材は酒樽・樽丸用、北山材は磨き丸太用など独自の利用法があった。付加価値の高いそれら利用法は経済をうまく回すことができ、それゆえに持続的だった。持続性は、植栽から伐期まで長期間かかる林業には不可欠の要素である。持続的であったからこそ、長期間にわたる施業の試行錯誤が可能となり、独特の施業法が確立した。そしてその活動全体が、地域の文化となっていった。「独自の利用法」「経済」「持続性」「地域文化」 これらが確固たる施業法を作る上での不可欠な要素と考えられる。
 しかし北海道に目を転じると、これらの要素を併せ持つ地域はほとんどない。木材の利用法はもっぱら合板、集成材、梱包材、パルプ利用が主流であり、独自性がなく付加価値も低く、地域文化として確立もしていない。それらの製品のほとんどは本州に出荷される。北海道には地域文化のなかでの利用法が存在しないのだ。
 旭川を中心に展開している楽器や家具などへの利用、近年脚光を浴びているカラマツ住宅建築など、北海道独自のものとしてもっと育てていく必要があるのかもしれない。


7 近世と現代の造林技術比較
 本書を読んで驚いたのは、近世の造林技術が現代のそれと大枠でほとんど同じということだ。それには、
①江戸時代の造林技術の発展がすごかった
②それ以降の時代には技術的進歩があまりない(業界の堕落?)
 という2つの側面があるだろう。②の点についていえば、明治以降の近代化があまりに急速で、激動の時代だったために、先ほど考察した「独自の利用法」「経済」「持続性」「地域文化」という4条件が揃わなかった要因もあろう。安定した社会でなければ、施業法は進歩しないのである。
 林業には時間がかかる。たとえば植栽実験をしても、成果が現れるまでかなりの時間が必要だ。伐採時の状況が知りたいのであれば、植栽から30年以上の時間が必要となる。それほどの長期間にわたって実験ができるためには、安定した社会が続き地域全体でその取り組みを見守る体制ができていなければいけない。
 農業技術と比較すれば分かりやすい。農産物の多くは単年サイクル植物だから、実験も1年後には成果が出る。失敗したら改善するなど手をすぐ打つことができ、試行錯誤ができる。だから農業技術は近代以降、これほど発展したのだ。それに比べて林業は進歩は亀のごとく遅い。
 本書には触れられていないが、近代日本の森林管理はドイツ林学をモデルとした。法正林思想などその代表例だ。しかし日本近世の造林技術の浸透に比べ、ドイツ林学はどれほど日本の森林管理に役立ったのだろうか? 時間があるときにでも具体的に検証してみたい。


8 第三期:昭和の略奪期

輸入材の多くは原生林から伐り出されたもので価格も安かった。というのも林木の更新保育費用や環境へのダメージを最小にするための費用が含まれていなかったからである。更新費用と環境費用を外部化した安価な木材が大量に流入すれば、植えて育てる育成型の林業は成り立たない(6p)。
長年酷使された列島の森林にしてみれば、しばしの休息がおとずれたということであろう。20世紀の略奪が生み出した森林危機は、植林によってではなく非木質系の代替資材と外国産の木材によって救われたと言っていい(5p)。

 更新・環境費用の内部化の問題で言えば、国産材の価格に環境費用等をどう内部化していくかは大きな課題だ。近年、世界的な経済環境の変化により輸入材が国内に入りにくくなり(価格が上がり)国産材が見直されているが、業界の意識は「安い国産材を買ってやるか」という段階だ。国産材の持続性や環境保全などに思いを馳せ、行動しようと準備している関係者は驚くほど少ない。
 SFC認証などの森林認証や、ウッドマイルズなどの一部の動きは、明らかに価格の面で環境費用等を内部化しようとする試みだが、まだ明確な成果は出ていない。

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