真田広之 桜井幸子「高校教師」

高校教師 DVD BOX
B00005NJR7真田広之 桜井幸子 峰岸徹

ポニーキャニオン 2001-09-19
売り上げランキング : 7,593

おすすめ平均 star
star僕のために泣いてくれた
star脚本家野島伸司の存在を決定づけた不朽の名作
star完璧な名作

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
 不覚にも、と言ったら野島伸司ファン、ドラマ「高校教師」ファンには失礼かもしれないが、自分でもびっくりするくらいにこのドラマにハマってしまった。
 わたしはこのドラマをリアルタイムで見ていない。もともとテレビドラマはそれほど見る方ではなかった。テレビドラマ特有の軽さというか、同じようなストーリーを焼き直しているだけの安易さ(トートロジー)が好きではなかったからだ。それでも本作品が放映されている時(わたしの高校時代)はこれは大評判だったし、大学時代には知人が「高校教師は面白いから、一度は見たほうが良いよ」と言っていたのは覚えている。そんなことがあったかだろうか、先週、久しぶりの一人暮らしの暇つぶしに、ビデオレンタル屋に行き、たまたま手に取ったのがこの作品だった。
 見始めたとたん、心が激しく揺さぶられた。今回は全4巻のビデオのうち始めの2巻だけを借りたのだが、その夜、深夜2時半まで見続けてしまい(次の日仕事なのに…)、そして次の日、仕事が終わってすぐビデオレンタル屋のある隣町まで車で飛ばして、残りの2巻を借りて一気に見た。車を運転している間は、頭の中では、ずっと本作品の主題歌である「ぼくたちの失敗」(森田童子)がリフレインしていた。

だめになった僕を見て  君もびっくりしただろう
あの子はまだ元気かい  昔の話だね
春の木漏れ日の中で   君のやさしさに
埋もれていた僕は    弱虫だったんだよね

 この歌詞は、本作品のストーリーそのものである。森田童子の今にも壊れてしまいそうな線の細い声と、若く、弱く、やさしい歌詞。まさにこの物語のために作られた曲のようだ(実際は違うが)。

ぼくたちの失敗~森田童子ベストコレクション~(CCCD)
ぼくたちの失敗~森田童子ベストコレクション~(CCCD)森田童子 石川鷹彦 木森敏之

おすすめ平均
stars青春の傍らにいつも森田童子がいた・・・
stars敗北, 喪失, 60s
stars透きとおる声
starsあぶな切ない
starsしんみり静かに

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
 本作品は、1993年にTBS系列で放送され大ヒットしたドラマである。教師と生徒の恋愛やレイプ、同性愛、近親相姦、裏切り、いじめなど社会的タブーを真正面から扱い、話題をさらった。平均視聴率21.9%、最高視聴率33.0%と驚異の数字をたたき出した。教師の羽村隆夫(真田広之)と、恋人の女子高生の二宮繭(桜井幸子)、同僚教師の新庄徹(赤井英和)と藤村知樹京本政樹)、女子高生の父親の二宮耕介(峰岸徹)、とこれら俳優陣がそれぞれ個性的な役柄を見事に演じきっている。
1 ドラマ「高校教師」のエッセンス
 どうしてこの物語はこれほど心に焼き付くのだろうか。一気に見終わって放心状態のいま、もう一度考えてみることにしよう。
 この物語ではいろいろな事件が起こるが、ストーリー全体を俯瞰するとそこに通徹しているエッセンスは3つだ。1つは淡くてピュアな恋心、2つは孤独、3つは暴力だ。
 1つめの淡くてピュアな恋心。これは改めて説明するまでもないだろう。「体育の授業の持久走で1等を取ったら、映画館に連れて行って」(繭、第5話「衝撃の一夜」)、約束で指きりをするが「切りたくないから」と2人の小指をつないだままにするシーン(第5話「衝撃の一夜」)、「本当のわたしを知っても嫌いにならないでね」(繭、第5話「衝撃の一夜」)、スクリーンの光を利用してキスをするシーン(第6話「別れのバレンタイン」) 、「先生、わたしのこと避けないでね。わたし良い娘でいるから」(繭、第8話「隠された絆」)、「僕たちはもっとおかしいほど単純なんだ。そばにいないと淋しい」(羽村、第8話「隠された絆」)、電車のドア窓越しにキスをするシーン(第10話「ぼくたちの失敗」)。 これらエピソードの一つ一つが、たまらなくピュアで、けなげで、ひたむきで、必死で、もろい恋心で、見ている我々の心を揺さぶる。わたしたちは見ていて、思わず自分達の初恋のことすら思い出してしまう。
2 桜井幸子の存在の大きさ
 このドラマのピュアな雰囲気は、恋人の女子高生役の桜井幸子の存在が大きいだろう。彼女の無垢な美しさ、チャーミングな笑い顔。澄ました顔は知的だ。そして何といっても素晴らしいのは、時折みせる落ち着きはらった低い声。わたしはもともと落ち着きのある低い声を出す女性が好きで、すこし前の風吹ジュンの声が好きだったが、今回の桜井幸子の声にも魅かれてしまった。特に、第9話「禁断の愛を越えて」で、理科室で追試を受けたあとの桜井の語り声は絶品である。桜井幸子が醸し出すこの雰囲気が、美しく、ひたむきで、そして陰のある女子高生・二宮繭役にピタリとはまった。
 もともと桜井が演じていた二宮繭役は観月ありさに内定していたという。桜井幸子は代役だったそうだ。しかしやはり二宮繭役は桜井幸子しかいないないし、観月ありさでは桜井ほどこの役にハマらなかったのではないか。
3 孤独エッセンスと物語における新庄先生の役割
 ドラマのエッセンス2つめは孤独。これは、このドラマの登場人物ほとんどに当てはまる。主役の羽村隆夫(真田広之)は、婚約者に裏切られ、大学教官のポストも奪われ、すべてを失っている。孤独ゆえに女子高生の二宮繭(桜井幸子)に惹かれ、癒されたいと思っている。繭は、父親との近親相姦の関係に心のゆがみを感じ、羽村に助けを求めている。同僚教師の藤村知樹京本政樹)は、愛に飢え、女性に絶望し、ほとんど狂ったような状態だ。彼は女生徒をレイプしてしまう。繭の父親の二宮耕介(峰岸徹)も芸術家特有の狂気の世界に足を踏み入れている。娘の繭に関係を迫る。このドラマは、孤独者たちのさすらいの物語、と言ってもいいだろう。孤独を抱えた登場人物たちは、愛に餓えさまよい、そして他者を傷つけていく。
 今回のドラマで唯一、孤独をそれほど感じさせないのは、羽村の同僚教師の新庄徹(赤井英和)だ。ストーリー的には新庄は、妻と別れ子供を奪われた孤独な側面ももつが、乱暴だが男気がある性格の方が前面に出ている。赤井英和がもつ明るい雰囲気も、新庄徹に孤独を感じさせない要因の一つだろう。
 このドラマを書いた野島伸司は、脚本を書く上で、新庄先生のような陽性の人間の存在が必要だったのではないか。新庄先生がもしいなかったら、物語は暗く、暗く、闇に落ちるばかりになってしまい、救いようがなくなってしまう。明るく、一本気な彼の存在が、暗く沈みがちなこの物語を、ぎりぎりのところですくい上げて、物語を最後までつないでいるような気がする。そのような意味では、野島氏にとって、新庄先生のキャラクターはこの物語を書く上で不可欠だったのではないか。
4 暴力エッセンスと表裏一体の関係にあるピュアな恋心
 ドラマのエッセンス3つめは暴力。この物語は暴力性に満ちている。繭の父親の二宮耕介は、力ずくで繭に関係を迫る。羽村の同僚教師の藤村知樹は、孤独ゆえに生徒をレイプする。同性愛者のバスケットボールクラブの先輩の佐伯は、繭が自分に振り向いてくれないことに嫉妬して、隆夫に塩酸をかけようとする。教育実習生で羽村に恋心を抱いている田辺は、繭に嫉妬し、繭がカンニングしたとでっち上げる。そして極めつけは、羽村は繭の父親の二宮耕介を刺す。
 暴力性に満ちたこの物語世界で、愛し合う羽村と繭は、その暴力に抗い、ひたむきにつながろうとする。その姿は、けなげで、ひたむきで、ピュアである。2人の姿は、視聴者の心をうつ。そのように考えると、ピュアな恋心と暴力性は、コインの裏表のように表裏一体の関係にあるように思えてくる。暴力性が激しければ激しいほど、この物語においては2人のピュアな恋心が増幅されていく。野島氏は、ピュアさを増幅させる装置として、このドラマに暴力性を各所に埋め込んでいったのではないか。
5 物語の軸としての真田広之
 やはり主役の真田広之の果たした役割について書かないわけにはいかない。この物語を落ち着いた雰囲気にしているのは、桜井幸子の好演などもあるが、真田がストーリーの軸として存在感を示しつづけたことがその大きな一因と思われる。自然体で、落ち着いて、しかも的確に演技をこなす真田がいたからこそ、一見嘘っぽくなりがちなこの破天荒ストーリーがリアルなものとして着地することができた。
 このことは野島伸司のその後の作品「未成年」を見たときに強く感じた。「未成年」の主役はいしだ壱成だが、いしだの演技は若さもあってか落ち着きがなく、決めるべき場面でしっかりと決められていない印象をもった。もちろん高校教師と未成年ではストーリー設定が違うし、脚本の完成度も違う。また真田といしだでは出演時の年齢が違うので比較するのもかわいそうかもしれない。ただ主役が締まらないと物語のメリハリが効かず、ダラダラと流れていってしまう。この点、真田の演技は群を抜いていた。
 羽村(真田)は、父との近親相姦関係に悩む繭を救いに、繭の家に乗り込む。そして父と対峙し、毅然と言い放つ。
 「あなたは父親の資格などない。彼女は僕が連れていきます。…わたしは彼女を愛している」(第9話「禁断の愛を越えて」)
 物語のクライマックスでの真田の決めゼリフの迫力はピカイチである。真田は若い頃から時代劇に出演し、また空手や日本舞踊をやっていたという。彼の演技には、体全身からほとばしる気迫を感じるのである。
6 野島伸司の脚本家としての力量
 それにしてもこれだけキワドいエピソードをふんだんに盛り込み、それを一つの自然な流れとしてつなぎ物語を描き切った、本ドラマの脚本家・野島伸司の力量は驚嘆に値する。もしわれわれが「教師と生徒の恋愛、レイプ、同性愛、近親相姦、裏切り、いじめを盛り込んで物語を書きなさい」と頼まれたら、混乱し、途方に暮れてしまうだろう。こんな難しいテーマ設定を野島氏は描き切ったのみならず、傑作物語に仕上げたのである。非凡な才能だ。
 普段わたしはテレビドラマはそれほど見ないのだが、中・高時代にはいくつかのドラマを熱心に見たことがある。フジテレビで放映された「愛しあってるかい!」(1989年)、101回目のプロポーズ(1991年)などを思い出すが、今チェックしてみたら、どちらとも野島伸司氏の脚本である。知らなかった…。売れっ子なわけだ。
7 ドラマのラストシーンをめぐって
 野島伸司は、最終回のラストシーンを最初から明確にイメージして、この作品を書いたのだろうか。本作品を見終わったとき、ふとそんなことを思った。
 ラストシーンはこういうものだ。主役の羽村隆夫と二宮繭は、新潟行きの電車の中で再び出会う。二人は警察に追われている。電車の中で二人は、弁当を食べたり、話したり、ひと時の幸せを味わう。そして最後に、電車内で心中する(毒を飲んだ?)。このラストシーンについては当時は多くの議論を呼んだみたいで、「いや、二人は死んでいない」という主張もあったそうだ。野島氏も「(ラストシーンの解釈については)見る人の判断にゆだねたい。死んだか生きているかは、その人の想いに任せます。」と言っている。しかしラストの演出の仕方は、どう見ても心中したように見える。車掌が呼びかけても二人は無反応で、そしてその後、桜井が片腕をぶらりと力なく落とす。このシーンを見れば、やはり二人は最後に死んだと解釈するのが自然ではないか。
 さて冒頭の問いかけに戻るが、わたしは野島氏は、ラストシーンをイメージしないで脚本を書いていったのではないか、と思う。「さてさて、最後はどうしようかなぁ」と思いながらも書き進め、そして最後の段階になって、熟慮して、苦しんで、悩んだあげく、あのような終わり方にしたのではないか。ドラマを見ていて、わたしは最後のシーンだけ引っかかった。悪い終わり方のような気がした。普段は脚本の書き直しには決して応じない野島氏が、この高校教師のラストだけは例外として書き加えたという。最後まで迷っていたのだろう。
 わたしとしては、この物語は最後にはハッピーエンドして欲しかった。救われる物語にしてもらいたかった。野島氏はこの物語は「ハッピーエンドであった」と語っているが、わたしはこの心中のエンディングがハッピーエンドだとは思えない。わたしは自死を肯定的に思っていないから。ラストはあのような心中で終わるのではなく、一つ前のシーン、車内でひと時の幸せを味わうシーンで終わって良かったのではないかと思う。その後、二人がどうなったかは見る人の想像に任せます、という感じで。ここまで暗く、悲しいストーリーだったのだから、最後ぐらいは明るく終わってほしかったのである。
補遺
 先日、知人の女性と話していて、「高校教師の繭は、大人の男性を虜にするのがうまい」と評していた。ドラマを見直してみると、確かに教師・羽村への接近の仕方から、そして距離のとり方(出るところは出て、引くところは引く)はうまいのかもしれない。女性の視点らしい評だと思った(2006.1.3)。

><

(私の評価★★★★★)
よかったら投票してください→人気blogランキング