本多勝一「検証カンボジア大虐殺」

haruo72004-10-19

検証・カンボジア大虐殺
本多 勝一

朝日新聞社 1989-11
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 本作品は、本多勝一氏の数ある作品の中でも、私が最も高い評価を与えているものの一つだ。

1. 驚嘆すべき本多氏の調査能力

 この作品のスゴい所は、何といっても、1980年の8月下旬からわずか3週間足らずで、メインのカンボジア本土取材(5章から9章まで)の取材をやっていることだ。この事実は驚愕に値する。その取材量がハンパじゃないのだ。本多氏は、この取材において徹底的に量的な把握に努め、この短期間にメコン東岸の百数十世帯の人々に面接し、「死亡率○○%」という定量分析を行っている。
たとえば分かり易いように単純計算すると、インタビュー数:150世帯、取材期間:3週間(21日)で、前後の2日は移動日として、150世帯/17日となり、1日に約9世帯ものインタビューをこなさなければいけない計算になる。しかも休みなしで毎日なのだ。私は本書を一読し、ポルポト政権下での国民の悲惨な生活を痛感することはもちろんだが、それ以上に、ジャーナリスト・本多勝一の取材力のすさまじさに感動を覚えた。
 私にも大学時代に社会調査の経験がある。しかし、私の場合は、一日に3人のインタビューをこなしたらもうヘトヘトだった(もちろん私の場合は定性調査だったため1人の取材時間が2〜4時間と長かった面はあるが)。それを本多氏は1日に約9世帯である。調査内容も、各世帯の死亡者数を聞くという、いわゆる定量調査が主体だが、加えて、誰がどのように殺されたのかに至るまで、本多氏は突っ込んで聞いている。通訳を通してのインタビューなので最低でも1世帯1時間はかかっていると思われる。1日9世帯のインタビュー、1日10時間以上の労働、それも3週間休みなく。本多氏のこの並外れた体力と精神力と行動力には、ほとほと感心せざるをえない。 

2. 私のカンボジア体験と虐殺

 この本は、私の東南アジア旅行直後にむさぼり読んだ本だ。旅行時に私は、プノンペンのツール・スレーン刑務所とキリング・フィールドを訪れ、大虐殺の現実を目の当たりにし、木刀で頭を殴られたかのようなショックを受けていた。ツール・スレーン刑務所を見学したときなどは、館内に入った瞬間から頭と肩がズンと重くなり、身体の調子が悪くなり、刑務所から出た瞬間に身体の調子が良くなったという不思議な体験をした。そして帰国直後から、カンボジア大虐殺に関する文献を集め乱読し、その中の1冊がこの本だった。本書の218〜224pに、当時の政治犯を殺しまくったというツール・スレーン刑務所の写真がふんだんに載っているが、あのいまいましい刑務所での記憶が私の中でまざまざとよみがえった。あの頭が重くなり、具合が悪くなった記憶が…。

3. 言説の変節をごまかす本多勝一

 この本には批判もあるだろう。本多氏は、ポルポト政権発足当初はこの政権を評価していた*1。それが虐殺の事実が明らかになった途端に、評価を逆転させるという節操のないことをやっているため、この本に対してもこの点から批判がなされている*2。戦後、一貫して左寄りだった朝日新聞社、そこの記者だった本多氏は、共産主義政権をどうしても応援したかったが*3、虐殺の事実が明るみに出て形勢が悪くなったから、評価を逆転させ批判側に回った、こんなところが実情ではなかろうか。この節操のなさ、この変節を知らんぷりしてダンマリを決め込む本多氏の姿勢は、確かに批判されるべきだろう。
 しかし上記の問題があるにせよ、この作品を一冊のルポルタージュ作品として見た場合、その内容の濃さ、文章構成・作文技術のレベル、どれをとっても1級の作品といわざるを得ないのである。
検証・カンボジア大虐殺
(私の本書の評価★★★★★)

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*1:たとえば本多氏は、ポルポト政権発足後の1975年に次のような発言をしている。「例によってアメリカが宣伝した「共産主義者【赤色クメールを指す】による大虐殺」などは全くウソだった…」〔「カンボジア革命の一側面」『潮』1975年10月号〕「…プノンペンの市民を農村へ分散させ……搾取のない農村経済のもと、みんなが正しい意味で働きながら、まず自給を確立することから自立しようと考えたとしても、まことに自然なことではないか。合州国の退廃文化(帝国主義文化)でダラクさせられた都市の人々も、それによって健全なものに立ちなおるだろう。」〔「欧米人記者のアジアを見る眼」『潮』1975年7月号〕

*2:この経過については次のHPが詳しい。http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8442/

*3:本多氏の数ある著作を読むと、本多氏の姿勢は共産体制ありき、というよりも、アメリカ資本主義体制の否定、のが先に来ているのかもしれない。「アメリカはこんなにヒドい。それに比べれば他はまだマシ」的な、単純な物言いが目立つように思われる。