山崎豊子「大地の子(1)〜(4)」

大地の子〈1〉
大地の子〈1〉山崎 豊子

おすすめ平均
stars日本人としてぜひ読んで欲しい一冊
stars『知らない』罪
stars中国残留孤児
stars感動の一作です
stars骨太のテーマと精緻な取材力に圧倒されます

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 文化大革命という近代中国最大の汚点を舞台に、日本人残留孤児の陸一心(ルーイーシン)が時代の荒波に翻弄されながら生き抜いていくストーリー。戦争孤児となった陸一心は、最愛の妹と生き別れたが、優しい養父に拾われて苦学に励んで大学を出て職を得る。しかし文化大革命がはじまると、日本のスパイと容疑をかけられ拷問を受け、「労改」と呼ばれる労働改造所へ強制労働に駆り出される。養父と仲間の努力によりなんとか釈放されるが、職場に戻った陸一心に待っていたのは、日中合同プロジェクトへの参加であった。そこでの日本側担当者はなんと実父の松本耕次だった。二人はそうとは知らず交渉をはじめる・・・。
1 共産主義思想への圧倒的な不信
 読了してまず思ったのは、中国共産党政権のデタラメさだ。これまでいろいろな情報を集めてきてその胡散臭さは知っていたものの、今回本書により文化大革命時の中国像が赤裸々に分かり、そのデタラメさを改めて痛感した。
 「平等な社会の実現」を最も重視しているはずの共産主義思想だが、実際の中国社会は、これとは正反対の圧倒的な不平等国家である。たとえば次の一節。

教室に残されている生徒の大半は、両親のいずれかが、旧社会の地主、富農、知識階級などの出身で、貧農、労働者、革命烈士の子らの家庭の出身のいい生徒とは、あらゆる面で厳しく一線を画され、将来が閉ざされていた。(上巻138p)

 共産党一党独裁体制のもとでは、地主や経営者などのブルジョア階級の家庭は毛嫌いされ、一方で昔ながらの革命家や貧農は手厚く処遇されるという、激しい差別があった。これは、個人の努力ではどうにもならない圧倒的な差別であり、こんな現状なら、資本主義国家の方が機会平等があるという点において、よっぽど平等な社会を実現している。中国の社会主義、資本主義国家のメリット・生産力の高さはもちろんはるかに及ばないのに加え、資本主義国家のデメリットの「平等な社会の実現」でさえはるかに及ばないのである。中国国家は近代において最悪の国家体制をとった、といっても過言ではない。もっと言えば、当時の指導者・毛沢東独裁国家のなにものでもない。
 しかしここで問題なのは、これまで世界で出現した社会主義国家はどこでも、中国と似たような悲惨な歴史を辿ってきている、という点だ。革命運動から国家樹立まではたいそう立派に見えるが、一度国家システムを作ってしまうと、旧ソ連スターリン体制は虐殺王国だったし、虐殺ならカンボジアポルポト政権、今の金正日(キムジョンイル)政権も負けていない。東欧だってチャウセスクの独裁体制だったし、キューバカストロ政権なんて一人の人間があれほど長く権力を握り続けていることが、社会にとって良いはずがない。つまりこれまでの社会主義国家は、例に漏れず、ろくな国家になっていない
 この圧倒的な現実の中で思うことは、共産主義思想って一体なに? ということだ。このように論理立てした場合に、プチマルクス君たちがかならず反論するのは、「中国やソ連の共産体制はホンモノの共産主義ではない」というものだ。しかし仮にそうだとしても、これほどまで世界の共産主義国家が失敗しまくっている状況を目の当たりにすると、共産主義思想自体に致命的な欠点があるのでは、と思ってしまう。


2 狂気の沙汰・文化大革命
 本書で語られる中国の文化大革命の現状は悲惨だ。
 文化大革命とは、社会主義国家の道をあゆむべき中国において、資本主義路線を目指す一派(「実権派」と呼ばれた)がいてイニシアティブを取りつつあるので、この現状を打破するために仕掛けられた大規模な政治運動のことである。1960年代後半から1970年代前半まで続いた政治・社会・思想・文化の全般にわたる改革運動で、ほとんどの中国国民を巻き込んだ粛清運動として展開した。その現状は悲惨を極めた。
 本書の主人公・陸一心は文化大革命の狂気のなかで、日本人の血が流れているというだけでスパイ容疑をかけられ、それも壊れかけのラジオを持っていたという一例をとって、それで日本と通信して秘密情報を売ったというこじつけ推論で、ろくに裁判もなく、犯罪人にさせられてしまうのだ。
 文化大革命の実態は、国家運営がうまくいかない原因を国内の反革命分子の責任にしたい、毛沢東と4人組(江青張春橋姚文元王洪文)をはじめとする当時の指導部の稚拙な政治運動に過ぎない。毛沢東らは、自分の保身のために、自分の仲間の中に敵を作り出し、激しく攻撃し殺し、社会のガス抜きをする、という政治家が最もとってはいけない手法を採用したのだ。特に最高権力者の毛沢東は、李志綏の「毛沢東の私生活」でも赤裸々に描かれているように、贅沢三昧の日々、60歳を過ぎても美女をとっかえ、ひっかえ、はべらすハーレム生活をいとなむような人物であり、その堕落ぶりは著しい。当時は毛主席が主導した大躍進政策人民公社化の政策が大失敗し、2000万から5000万と言われる国民が餓死していたのである。そんな混乱の中でのハーレム、酒池肉林生活なのだから、いくら毛沢東中華人民共和国建国の父と恭しく喧伝され、また毛沢東語録共産主義思想について講釈をたれても、毛(け)ほども説得力がない。ただの権力好きの独裁者、下半身で生きる破廉恥漢と思ってしまう。
 陸一心はそんな愚策の被害者であり、アラレもない冤罪をかけられ、複数の取調べ共産党員に棍棒でめった打ちにされ、手榴弾を握らされ爆発し、手が血だらけになる(上巻36p)。このリンチの場面を読んでいて、わたしは昔研究していたカンボジアポルポト政権のリンチの雰囲気と同じと感じたし、またジョージ・オーウェルの社会派小説「1984年(Nineteen Eighty-Four)」のリンチの雰囲気と同じである、と思った。
 文化大革命の時期には、紅衛兵と呼ばれる少年・少女らが活躍した。本書にも得意げに演説をぶつ紅衛兵の姿が描かれている。

『われわれは、河南省の青年紅衛兵である、毛主席の新しい指示を受けて、祖国の僻地の農村に行って、自らを鍛え、革命の大儀を実践し、革命的栄光を達せんとしている! お前ら反革命の囚人どもは、重労働を通して、徹底的に思想改造しろ!』
 初級中学から高級中学の生徒と思われる少年が、昂奮しきった顔で、演説をぶった。(上巻195p)

 まだ世の中の仕組みもわからない、でも正義感だけは強い少年、少女を国家が利用するのはカンボジアポルポト派もやった。国家としてはその純粋さが利用しやすいのだが、しかし少年、少女の将来のことを思うと暗澹たる気分になる。こんな邪道で、卑劣な手段を毛沢東と4人組は使ったのである。
 弾圧の対象となったのは、当初は事業家などの資本家層が、さらに学者、医者などの知識人等が弾圧の対象となった。しかしその後弾圧の対象は中国共産党員にも及び、多くの人材や文化財などが被害を受けた。期間中の行方不明者を含めた虐殺数は最低2000万人また億単位になるとも言われる。本書での陸一心が吐露する感想は、当時の多くの中国国民が思っていたことであろう。

文化大革命とは名ばかり、文明と知識を否定し、圧殺する運動によって中国はこの先、どうなるのだろうか、一心は暗澹たる気持ちになった。(上巻167p)


3 日本の満州開拓政策と日本人残留孤児
 しかし中国のことばかりも言ってられない。本書は日本人残留孤児もメインテーマであるため、戦前・戦中の日本がとった、満州開拓政策のずさんさ、いい加減さには怒りすら覚える。国策として満州に大量の日本人を送り込んでおいて、戦争が劣勢になると、関東軍(日本軍)は彼らを見捨てて逃げたのだ。

だが、戦後になって解ったことは、信濃郷をはじめとする北辺の開拓団は、ソ連国境に向かって扇形に配置されており、敗戦の年の五月には、関東軍は対ソ戦略を変更して、満州の四分の三を放棄し、極秘裏に移動を始めたが、ソ連軍の眼を欺き、釘付けにするために、北辺の開拓団は動かさず、放棄地域に置去りにしたのだった。(下巻25p)

 すなわち満州開拓団の人たちは、はじめから日本国家の捨て駒だったのだ。この愚策により、日本人残留孤児の悲劇が生まれた。開拓団の多くの子ども、女性などは、ソ連侵攻時に殺され犯され、運良く生き残っても、日本に帰ることもできず、最低最悪の当時の中国で、極貧の苦しみを味わうことになった。陸一心の実の妹は、バイヤーに売られ、極貧で、意地の悪い農家に拾われ、ボロ雑巾のように使われた。出来の悪く、知恵遅れの息子の嫁にさせられ、「病気でも、夜になると、寝に来る」(下巻190p)という、家畜同然の扱いを受ける。こんな悲劇を作り出したのは、一義的には当時の共産党中国の責任であるが、そもそもの原因は、当時の日本の満州開拓政策にあるのだ。
 しかし自国民を見捨てて逃げ出した日本軍(関東軍)っていったいなんだろう、と思わずにはいられない。当時の日本軍は、軍隊自身を守るため、国家という枠組みを守るために、国民の命を生贄として捧げたのである。アメリカとの沖縄戦時にも、日本軍は同じことをした。素直に考えて、軍隊って自国民を守るためにあるんじゃないの、あんたらが逃げ出してどうすんの、と思ってしまう。戦後の日本社会には軍隊アレルギーが蔓延したが、その土壌は、このような悲惨な経験の積み重ねだったのだろう。
 しかし今を生きる我々は、先の戦争の経験を乗り越えて、軍隊というものをもう少し冷静に、相対的にみるべき時がきていると思う。

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(私の本書の評価★★★★★)
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