「『丸山眞男』をひっぱたきたい―希望は、戦争。」論文とその後の論争について

 今年の終わりに、今年度の論題で話題になった論文とその後の論争について追ってみた(2007年12月31日記す)。
 話題となった論文は、無名のフリーターが書いた「『丸山眞男』をひっぱたきたい―希望は、戦争。」(赤木智弘論座2007年1月号:53-59p)というもの。「希望は、戦争。」という刺激的な副題もあって注目を集め、論座4月号に佐高信福島みずほ森達也鎌田慧など7名の著名な識者が応答文を寄せ、論座6月号で赤木氏が再反論する展開となった。
 話題となった当初論文を一読して、フリーター赤木氏の文章能力の高さに驚いた。論旨も明快で分かりやすいし、流れもスムーズなのでなかなか読ませる文章だ。赤木氏の問題提起を要約すれば、

・今のフリーターの多くはポストバブル期の就職氷河期時代の落とし子であり、個々の努力不足などではなく、社会の構造的な問題として産み出された。
・正規労働者や労働組合は自分たちの既得権益を守り離さないし、このままではフリーターはいつまでも将来が見えない。
・フリーターと正規労働者を平等にするには、もはや戦争でもして社会を流動化させるないのではないか。

 おおよそこのような論旨だ。


1 お粗末だった識者たちの応答
 この赤木氏の問いかけに対し、論座4月号に掲載された7人の識者の応答は何ともお粗末だ。「戦争」という言葉に過剰反応し、「戦争はそんなに甘いものじゃない」と居丈高に説教するパターンがほとんど。特に、経済評論家の佐高信氏、映画監督の若松孝二氏、社民党党首の福島みずほ氏の3名の文章は本当にヒドい。佐高信氏は得意のレッテル貼りと罵詈雑言で応答文になっていない。論評にさえ値しない駄文だ。若松孝二氏は、現代のフリーター問題が社会構造の問題であるということがまるで見えていない。福島みずほ氏は「…最後の方で『アレッ!違うぞなもし!』と絶叫したくなりました」(論座2007年4月号:90p)などと、文頭から赤木氏を小ばかにしている。1フリーターの叫びにも似た訴えに対し、仮にも人権を主張する政治家がこういう態度をとるのはいかがなものかと思った。しかも彼女は政党の党首だぞ。また赤木氏が批判した正規労働者や労働組合の問題は一切黙殺して論点をずらしていた。自らの支持団体に対する議論はしたくないのだろうか?


2 赤木氏の主張したかった点
 赤木氏の一番の主張点は、「戦争がしたい」ということではなくて、世間に現代のフリーターの窮状を分かってほしいということだろう。当初論文で赤木氏も繰り返しフリーターの窮状を訴え、「そして何よりもキツイのは、そうした私たちの苦境を世間がまったく理解してくれないことだ」(論座2007年1月号:54p)と悲鳴にも近い言葉を書き込む。
 しかし識者にはこの論点がなかなか読み取れない。そして「戦争」という言葉だけに過剰反応し、説教調の応答文を書く。議論という意味では、佐高信氏らの文章はまったく的外れで無意味だ。フリーターの窮状を理解しておらず、フリーター問題が社会の構造的問題だということに思いが至っていない。元外交官の佐藤優氏の言葉を使えば、彼らの文章はまさに「インクのしみ」(獄中記:441p)程度のものだった。



3 まともな反応

 7人の中では、赤旗編集局長の奥原紀晴氏、ルポライター鎌田慧氏、ジャーナリストの斉藤貴男氏の返答は赤木氏の論点を読み取り、それに応えようという意思が見えたのでまともだった。斉藤貴男氏の「格差社会の不満のはけ口に戦争の相手を強いられる側の人生にも、少しは思いを馳せてみてはいかがか」(論座2007年4月号97p)という指摘は、まさに私も赤木氏の論文を読んでいて感じていたことだった。わたしと赤木氏は同世代である。われわれの世代も、自分たちのことだけではなく他者への気づかい、社会への想像力があることを示すためにも、格差社会の不満からすぐに戦争と飛んでしまうような論理展開をすべきではないのでは、と思った。
 森達也氏も真摯に答えようとしていたのは分かったが、「探す気になれば、安定した職業はいくらでもある」(論座2007年4月号92p)という書き方はまずいなぁ、と思った。森氏はポストバブル期に就職活動する若者の苦労をどれだけ知っているのだろうか。わたしは赤木氏の同世代の人間として、ポストバブル期の就職活動の悲惨さを身をもって経験している(それでもわたしはまだ軽い方だが)。ポストバブル期はただでさえ「安定した職業」の求人が少ない。しかも日本の採用は圧倒的に新卒者重視だから、新卒時を逃したフリーターがどれだけ不利で、絶望的な就職活動を強いられるか森氏は分かっていない。赤木氏も「…まともな就職先は新卒のエントリーシートしか受け付けてくれない」(論座2007年1月号:54p)と書いているが、まさにそのとおりで、よほどの巡り合わせのラッキー採用以外は「安定した職業」などには就けないのである。実情を知らないのに、探す気になればできるみたいなことを森氏は軽々と書くべきではないと感じた。


4 戦争より社会政策という選択肢
 しかしわたしも赤木氏の議論にも違和感をもつ部分がある。先ほども触れたが、やはり「戦争」という選択肢に触れるのはもう少し慎重であるべきと思った。赤木氏はフリーターをめぐる閉塞状況を打破するための手段として「戦争」を挙げるが(赤木氏は「その可能性のひとつ」(論座2007年1月号:58p)と慎重な言い方をしている)、戦争という議論に行く前に、まず現実論としてできることはあるだろう。そこに触れないで「戦争」という選択肢に一気に飛ぶので、赤木氏の当初論文は多くの誤解を生んだ。戦争でもなく、革命でもなく、すぐれた社会政策で一定度の状況改善は可能だ。それはイギリスやアメリカのように、就職と連動するような職業訓練を大規模に実施して成果を出している取り組みがある。また企業に対し、フリーターの雇用を進めるべく中途採用枠を設けるように義務化したりである。もちろん即効薬にはならないが、このような手法で、きめ細やかな社会政策を打って徐々に良くしていくしか道はないと思う。

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