マックス・ヴェーバー「支配の社会学」

 これまでの人類史は集団による生活史であり、デフォーのロビンソン・クルーソー的な単独生活は希なケースに過ぎない。人間が集団で生活するということはそこに社会性が生まれる。そして必然的に、社会性の一形態として支配者―服従者の支配の構図が成立する。封建時代では地域共同体を軸に支配の構図が成立し、そこに宗教性や伝統が絡み合ってきた。現代では地域共同体的支配は解体され、強大な権力をもつ国民国家が登場し、支配の中軸となっている。社会を分析する社会学徒としてはこの支配構図の研究から逃げるわけにはいかないが、先人の知の遺産を参照すると、やはりここでもマックス・ウェーバーの知見にいきつく。
 ヴェーバーによると、支配は支配者と服従者において、支配の「正当性」の根拠によって内面的に支えられなければならず、正当性の根拠に応じて、服従の型も支配行使の型も根本的に異なったものになるという(吉田民人編,1991年:169-170p,社会学の理論でとく現代のしくみ)。そこでヴェーバーは支配の類型について3つに整理した。
伝統的支配
 昔から妥当してきた伝統によって、権威を与えられた者の正当性に基づく支配のこと。伝統によってその任につけられ、伝統に拘束されている支配者のその人物に対して、習慣化したものの範囲で服従がなされる。かつての日本の農村共同体は、伝統的支配によるものだった。
カリスマ的支配
 支配者個人の特別の資質に対する非日常的帰依に基づく支配のこと。カリスマ的資質をもった支配者のその人物に対して、啓示や英雄性や模範性への人格的な信仰によって、彼のカリスマへの信仰が妥当している範囲内において服従がなされる。ドイツの独裁者ヒットラーや日本国元首相の小泉純一郎氏などはこの側面を持っていたと考えられる。小泉氏は、彼のカリスマ性から生まれた国民的人気を力の源泉として、古い自民党の伝統的支配の構図を壊していったと分析することができる。
合法的支配
 制定された規則の合法性と、この秩序によって支配行使の任務を与えられた者の命令権の合法性とに対する信憑に基づく支配のこと。形式的に正しい手続きで定められた制定規則によって、任意の規則を創造し改変することができるということである。こうした手続きを通じて合法的に制定された没主観的・非人格的な秩序と、この秩序によって定められた上司とに対して、上司の命令の形式合理性のゆえに、またこの命令の範囲内においてのみ、服従がなされる。このタイプの支配が近代的な組織原理の根幹をなすとされる。
 合法的支配のポイントは、「形式的に正しい手続」「制定された規則の合法性」と、「上司の命令」とあるようにそれを実行する組織のピラミッド型命令系統、この3点くらいにあるだろう。正義論の整理でいえば、手続的正義、遵法的正義、形式的正義である。合法的支配はこのような要素をもつ以上、「没主観的・非人格的な秩序」という性格を持たざるを得ない。近年、役人批判は定番となってビートたけし「TVタックル」などでは社会の敵みたいに扱われるが、「役所が冷たい」「役人は融通が利かない」などの批判は、役所が合法的支配に基づいている以上は致し方ない面もある。このあたりを踏まえた議論はメディアにはほとんどなく、安易な役所批判でガス抜きをしているものばかりである(だからと言って役所がすべて正しいとは言わないが)。
 最後に気づいた点。日本の行政は類型でいえば③合法的支配に当てはまるが、たとえば地域の行政機構を見るとこれに①伝統的支配の要素も入っていると指摘できる。たとえば地域住民の「役所が言うことだからしょうがない(→従う)」という発言と行動パターンは、昔から役所が中心となって地域運営をしてきたからその伝統性を根拠に役所に従う、という思考が存在する。現代社会といえども、伝統的支配はなくなっていないと考える。

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