佐藤優「獄中記」を読んで獄中生活について考えた

 佐藤優「獄中記」を読んだ。書評については次の機会に譲るが、今日は佐藤氏の体験した獄中生活に対しての所感を書いてみたい。
 本書を読み終えて、率直に、獄中生活も悪くないな、と思った。佐藤氏のような獄中生活を送れるのであればわたしもやってみたいな、とまで思った。ただし、半年〜2年程度で出所できる、雑居房ではなく独房で、という条件付きであるが。つまりこういうことである。
 佐藤優氏は外務省の元主任分析官で、ムネオ事件で鈴木宗男氏と共に逮捕・拘留された人物であるが、512日間の拘置あいだ、4畳の独房で研究・思索に集中的に精を出した。神学や哲学の古典をじっくりと読み、ドイツ語やラテン語の勉強に励む。学術書を中心に約250冊を読破し、原稿用紙5000枚、大学ノート62冊のメモをまとめている。外交官時代には「腰を据えてしたかったけれども、時間に追われてできなかった」ことを、獄中で取り組んだのである。この研究と思索に打ち込めるという点で、「獄中生活も悪くないな」とわたしは思った。
1 監獄生活の魅力について
 もちろん逮捕と独房拘留という衝撃のなかで、自分を見失わず精神状態を安定させ、研究に取り組んだ佐藤氏の精神力がわたしにあるかどうかは分からない。取り調べも相当苦痛だったようだ。精神力的には、わたしは佐藤氏よりかなり劣っているだろう。宗教的なバックボーンもない。神経質な性格なので当初は環境の大きな変化にナーバスになることは間違いない。しかし一方で、わたしには「しょうがないから今出来ることを考えるか」と早々とスパッと割り切るところがあり、ご都合主義的(オポチュニスト)とも、広義の適応能力の高さとも言える側面を持っている。だから、初めの監獄ショックさえ乗り越えてしまえばなんとかなるかもな、と思ったりもする。
2 近代生活に行動の自由はあるのか?
 自由という観点に立てば、今のわたしの生活と監獄生活とどれほどの違いがあるのだろうか。監獄生活は、行動の自由が大きく制約される。4畳の独房に押し込められ、自由に外に出ることはできない。当然のこととして、今のわたしの生活の方が行動の自由がある。しかしその中身を見るとどうだろうか。
 わたしに行動の自由があると言っても、基本的に平日は仕事に縛られ、また日本の職場はヨーロッパのように長期休暇をとる習慣もないので、わたしの行動範囲もたかがしれている。結果として見れば、この地域一体が広めの監獄で、その中に私を含む地域の人たちが拘束されているという見方もできる。また田舎では良くも悪くも狭い社会のため、地域の人たちから「昨日、どこどこに行ってたね」的なチェックを受けることも多い。それが暗黙のプレッシャーになり自分の行動に制限がかかることもある。もちろん強制力はないが、地域の人たちの目が監獄の監視官の目とリンクする部分もある*1
3 フーコーパノプティコン
 佐藤氏も本書で触れているが(438-440p)、監獄と近代社会の関係についてはフランスの社会哲学者のフーコーが鋭い分析をしている。フーコーは、ベンサムが考案した理想の刑務所(パノプティコン・一望監視施設)を題材にして、監獄の監視システムと近代社会の監視システムの共通性を指摘した。
 パノプティコンとは、丸いドーナツ状の建物とドーナツの輪の中心に監視塔が配置されている刑務所である。ドーナツ状の建物には独房が環状に配列されていて、監視塔からはすべての独房の内部を見通すことができるが、独房からは監視塔の様子を見ることはできない。このような構造であれば、囚人は常に監視者から見られているのではないかと意識し、無茶な行動をすることなく自らを律する。実際に監視官が見ているか見ていないかは関係ない。見られているかもしれないという意識が自己の規律を内面化する点がポイントである。権力の行使が非常に経済的であるという側面は見逃せない。
 フーコーの議論は、この構造が近代社会にも当てはまると分析するところが真骨頂だ。近代社会の家庭、学校、病院その他が、社会の監視と人々の規律化に寄与しているという。わたしの理解でいえば、警察のスピード違反取り締まりの例も同じだと思う。警察は常時スピード違反の取り締まりをしているわけではないが、時々やることによって、見られているかもしれない意識がドライバーに生まれ、「スピードを出してはいけないな」という規律が内面化する。これがフーコーのいう近代社会の監視システムである。税務署、検察、会計検査などの立ち入り検査も同様の機能がある。
 先の地域生活の例で述べた「地域の人たちから見られているかもしれない」という私の意識も、社会的な監視システムという点においては同様である(近代的なシステムとは言わない)。そう考えれば、行動の自由があるはずのわたしの生活も、監獄的な監視システムによって縛られており、制約されていることは確かである。
4 近代生活に精神の自由はあるのか
 また精神的自由さという点ではどうであろうか。佐藤氏の事例を見る限り、独房的環境に適応し取調べも耐えることができれば、精神的にはかなり豊かな時間が送れる。佐藤氏は、ドイツ語やラテン語などの語学の勉強し、専門の神学や哲学の学術書を中心に約250冊を読破した。何よりも魅力的なのは、まとまった時間を取れることである。専門書は流し読みができなし、関連文献に当たらなければ理解できないことも多いので、読破するには、かなりまとまった時間が必要だ。サラリーマン生活、家庭生活を抱えている今の私には不可能に近い。監獄という隔離空間ならそれが可能になるのが魅力だ。
 佐藤氏は厳しい取調べの中でも、屈すること歪むことなく、精神的にはかなり自由であったという印象を受ける。もちろんノートでさえ検閲され、差し入れ本の冊数も決まっているという不自由さはもちろんある。しかし、頭の中はかなり自由だったと推察される。読書によってアカデミックな素養を蓄えながら、さまざまな問題について思索を展開している。
 以上、行動と精神の自由という観点から、今のわたしの生活と監獄生活の違いについて見てきた。今回佐藤氏の著作にふれて、わたしの監獄イメージが大きく変わったことは間違いない。これまでマイナスイメージばかりだったが、「獄中生活も悪くないな」とまで思うようになった。
 わたしの生活の理想は、明治期に量産された「高等遊民」の生活だ。高等遊民とは、帝国大学などの高等教育を受けながら経済的に不自由がないため、定職に付かず、読書や研究に打ち込んだ人々のことだ。夏目漱石「こころ」に登場する先生はこのカテゴリーに属する。「定職に付かず」というところが高等遊民のポイントで、研究するからといって、大学や研究機関の研究者になってしまったらだめだ。今の大学研究者などは雑務や教育に追われすぎで、真理を探究する空間ではない。わたしは財がないから高等遊民は今の段階では夢だが、いつかは叶えたいと思っている。佐藤氏も本書で、独房での生活は高等遊民の生活と似ていると指摘しているが(112p)、そういう点からも独房生活に魅力を感じる(だからといって犯罪を犯そうとは思っていないが)。
5 高等遊民になったらしたいこと
 高等遊民になれたら、自分の専門の研究に打ち込みたい。リスト的に作ると以下のようになる。

マックス・ウェーバーの本を再度精読し、ウェーバーのライフワークだった宗教に対する認識を深めたい。官僚制論、政治へのスタンスなどヴェーバーから学ぶことは多い。
マルクス資本論を読みたい。マルクス的視点も踏まえながら、現代の市場経済について分析を深めたい。
ヘーゲル、カントの著作を読み、社会学に大きな影響を与えた彼らの問題意識を整理してみたい。
精神分析、社会心理などへの認識も深めたい。フロイトのリビドーの概念はまだよく分かっていない。マズローの欲求階層論もしっかりと押さえたい。エーリッヒ・フロムの「自由への逃走」なども。
レヴィ・ストロースの著作を読みたい。女性の交換説など個別理論や構造主義の方法論なども知りたいが、何よりも近代化や近代化論に対してストロースがどのように対抗しようとしたのか、その精神を理解したい。
ルーマンのシステム理論、ハーバーマスなども。
・精神的に非常に安定しているときに限り、ニーチェフーコーなども読んでみたい(この2人の著作は精神的タフさが求められる)。

 これらの本は本当は訳文ではなく原文で読みたいのだが、ここで挙げた人の多くはドイツ人だから諦めざる得ない。せめて英語なら気力も沸くが、ドイツ語を今から勉強する気はない。マズローだけアメリカ人なので彼の著作は原文で読んでみたい。学生時代に、途中まで原文で読んだのだが、時間がかかるので途中でやめてしまった。

・樹木生態学についてもっと学びなおしたい。
・日本の森林管理史(政策史、文化など)を丹念に洗いなおしたい。まずは明治以降から現代まで。
・日本の経済史をサーベイしたい。明治以降の経済史は大学院生時代に挑戦したが、中途半端なままになっていた。今の方が日本の問題構造が良く見えているので、その視座から経済史を整理したい。経済史研究に新たな視点を提供したいというよりも(それは無理だろう)、日本の経済史の過程をわたしの専門である森林管理や社会学に生かしたいため。
柳田国男網野善彦の著作。彼らの日本学への挑戦の心意気が好きなので、体系的に読み直してみたい。日本の研究といえば元祖は国学本居宣長とかか、ここまでいけるかどうか。


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*1:誤解のないように断っておくが、地域の人たちには監獄の監視官のように強制力もないし、また狭い社会で知り合いが多いことは心地良いこともたくさんある。「地域社会=監獄」という単純な図式を作ることがここでの意図ではなく、特定の観点から見ればそういう見方もできるというマックス・ヴェーバー的な理念型を示したまでである。