流域管理、環境ガバナンスを動かしていくためにはどうすれば良いのか

1 地域の自然資源管理の課題
 先日の書評、佐藤優「自壊する帝国」において、わたしは佐藤氏の発言を引きながら、「部局間の仕事の重複」=「仲が悪くなる」という定式を重複悪化説と呼び、北海道の自然資源管理の事例と絡めて議論した。その流れで、日本の自然資源管理の分野でホットになっている流域管理、環境ガバナンスという概念を提示し、佐藤氏の別の著書(「国家の自縛」)をひきながら、理想と現実の差の開きが大きいときに理想論だけをいう状況をI-R問題(理想(ideal)ー現実問題(reality))と呼び、議論した。今日は、この続きの議論をしてみたい。
 日本の自然資源管理の課題を解決するために、流域管理や環境ガバナンスという方向性が今、アカデミズムの世界で提起されている。しかし実際の現場では重複悪化説などの問題がありなかなか進んでいかない。この壁を乗り越えるために、われわれは研究会で「他者を思いやる精神」と「絶えざる対話」に可能性をかけてきた。しかし現状においては、この正論はハードルが高すぎて実効性に疑問がある。そうであるならば、いまは「他者を思いやる精神」「絶えざる対話」にこだわり過ぎずにこれは長期的な目標に切り替え、短期的には別のアプローチの方法を考えていくべきだ。これが前回のわたしの主張の要約である。今日は議論を一歩すすめて、短期的な「別のアプローチの方法」を考えてみたい。
2 自然管理をめぐる日本的状況
 「地域の自然を守りましょう」「地球の環境を守りましょう」「そのためには流域管理が必要です」「環境ガバナンスの構築が必要です」これは正論である。言葉も美しい。しかし一部宗教団体の「世界が平和でありますように!」というスローガンと同じように、美しいだけで流れていってしまうメッセージだ。これだけでは動いていかない。地域の人たちや都市の人たちが実際動いてくれるような問題設定をしなければならない。
 地域の人たちは一般的に地域の自然には関心がない。環境社会学では「地域の人たちの、地域の自然に対する再認識が重要」と議論してきて、もちろんその要素は重要だが、その後の展開につながっていない。地域の自然に対する認識をさらに深め、そして広げていく展開になっていない。実際の地域も、一部の(もともと潜在的に関心のあった)人たちの再認識は進んだかもしれないが、それ以上の広がりは見られない現状だ。
 都市ではLOHASという言葉が流行っているそうだが、日本では言葉だけが浮遊し、しっかりした思想を感じない(「スローフード運動」でも同じことを感じる。日本では上っ面の言葉だけが走りすぎる傾向がある)。地球環境問題は、この3年で一気に環境問題の主役の座に躍り出たが、相手が地球という超広域生態系なので対策を考えるにしても漠とした議論となりがちで、結局は京都議定書の枠組み(二酸化炭素吸収)だけの議論に矮小化されてしまっている。
 このようなバラバラの、歪んだ現状のなかで、いかに実質的に動かしていくか。短期的な「別のアプローチの方法」をどう考えていくか。問題要素を一つ一つ洗い出し、それらを連関付け解決の道筋をつけるという連立方程式を解かなければいけない。
3 地域社会を出発点に考える
 地球の環境問題を考えるうえでも、もちろん地域の環境問題を考える上でも出発点となるのは、やはり地域社会ではないかと考えている。地域のひとたちが地域の環境について真剣に考え取り組みをすすめ、その取り組みに都市の人たちも巻き込んでいく。そのような地域が国中にあふれ世界中に溢れたとき、温暖化などの地球規模の課題にも取り組んでいけると考える。
 そうであるならば、まず考えなければいけないことは、地域社会が地域の自然を守るためにどう向き合っていくかということである。しかし地域の多くの人たちは地域の自然には関心がない。「地域の自然を守りましょう」「地球の環境を守りましょう」のメッセージだけでは通用しない。「他者を思いやる精神」「絶えざる対話」はもちろん重要だが、短期的な処方箋にはならない。地域の人たちが動くような仕掛けが必要である。
4 「意図せざる結果」につながる仕組みをつくる
 言葉で人を巻き込んでいくカリスマの存在がいれば動いていくかもしれない。しかしカリスマはめったにいないし、カリスマに依存する方向性は危険もつきまとう。そうであるならば、地域の人たちが「やろうよ」と思うような別の入り口をつくり、それに取り組んでいるうちに結果として地域の自然環境が守られるという戦略が有効と考えられる。社会学的にいえば、ヴェーバーがいう「意図せざる結果」という考え方だ。ヴェーバーはヨーロッパにおいて資本主義の精神がどうやって育まれてきたかに着目し、そのルーツをキリスト教プロテスタントカルヴァン派の中に発見する。このなかから生まれてくるのが「意図せざる結果」という概念だ(ヴェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」)。
 別の入り口を作り、「意図せざる結果」として地域の自然環境を守る。この方向性が短期的なアプローチとして、今もっとも重要なことではないかと考え始めている。個別具体的なイメージはできつつあるが、立場上いまここでは言うことはできない。これから動かしていく過程で、その成果と考え方をペーパーとして発表していきたい。この手法の注意点は、別の入り口が暴走しないようにコントロールすることだ。
 このアイデアは、流域管理のプロジェクトの仕事に取り組み、悩みながら考えてきたことだ。以前、わたしの所属する研究会でK先生が「文脈の読み替えが重要だ」と発言されたが、この仕掛けこそがいま地域でもっとも必要なことと思う。恥ずかしながら、そのときはこの発言の重要性について気がつかなかった。また手嶋龍一,佐藤優「インテリジェンス 武器なき戦争」においての佐藤氏の発言

行き詰まったら戦線を広げるというインテリジェンスの世界の定石ですよ。…行き詰まった外交案件はひとまず放っておいて、思いがけない局面に布石を打つという戦略ですね。(161p)

 も参考になっている。

インテリジェンス 武器なき戦争
インテリジェンス 武器なき戦争手嶋 龍一 佐藤 優

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