佐藤優「自壊する帝国」

自壊する帝国
自壊する帝国佐藤 優

おすすめ平均
stars人と交わること
stars国家の罠』以前に何があったか
stars素晴らしい本だが、警戒しながら読んでほしい
stars日本には希薄な「地政学」および政治と宗教、民族学の着眼がここにある
starsラスプーチン青春記

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 間違いなく最高レベルのノンフィクション作品だ。行動力と経験と知性がこれほどまでに見事に融合した書はほかに例が少ないのではないか。在ソ連日本大使館の外交官として見聞き・体験したことを素材とし、ソ連崩壊までの一部始終を丹念に振り返る。著者は、ポイントを絞り分かり易く説明する能力が飛び抜けて高いので、ソ連・ロシアの歴史や事情をあまり知らない人でもすいすい読み進めてしまう。あたかもサスペンス小説を読んでいるかのようなドキドキとスリリングな展開があると思えば、「うーん、まいった!」と唸らされるような教訓や洞察をさらりと述べる。わたしは読了後、自分自身ももっと勉強してプロの仕事師にならないといけない、と反省させられた。刺激盛りだくさんの本だ。もう一度繰り返そう。行動力と経験と知性がこれほどまでに見事に融合した書はほかに例が少ない。第38回大宅ノンフィクション賞受賞、第5回新潮ドキュメント賞受賞作品。
1 官僚組織における仕事の重複について
 「うーん、まいった!」と唸らされるような教訓や洞察についていくつか例を挙げよう。前半部に次のような指摘がある。

官僚機構で重複が生じると、部局間で競争意識が強まるので、仲が悪くなる。(48p)

 これは当時のソ連の諜報活動(スパイ)について触れた部分の記述である。ソ連の諜報部門といえばKGBというイメージが我々には強いが軍の諜報部局(GRU)も別にあり、仕事が重複しているためこの二つの機関は仲が悪いのだそうだ。KGBとGRUがどのように仲が悪いかについて佐藤氏は詳しく語っていないが、「部局間の仕事の重複」=「仲が悪い」という定式については、わたしも経験上の皮膚感覚として納得できるところがある。
 たとえば身近な例でいえば、河川管理における北海道開発局(国)と北海道の河川部局(道)の関係が思いつく。周知のとおり、全国の河川はその規模に応じて一級河川二級河川、普通河川などと分けられ、管理主体は順番に国、都道府県、市町村となっている。一見すると機関ごとの仕事上の重複はないように見えるが、たとえば石狩川十勝川など大きな流域においては上流(小さな河川)は市町村、中流域の中規模河川は北海道、下流の大きな河川は国管理となり、上流から下流までつながりのある河川に対して3者が競合しながら管理にあたるという形態になる。治水対策も利水対策も環境対策も上流から下流まで全体でみなければ意味がなく、ここに仕事上の重複が生じる。
 そして現状において、3者の連携が十分で仲が良いかと言われれば「否」であろう。連携が十分どころか、関係が悪化しているケースをわたしは知っている。「部局間の仕事の重複」=「仲が悪い」という定式の成立である。仕事が重複すればどうしても利害関係がダイレクトに出てくるので、感情的に対立しやすくなる。北海道の河川管理の実態はその実例だろう。
2 重複悪化説を自然管理の問題にあてはめる
 この定式(「部局間の仕事の重複」=「仲が悪い」)のことを、ここでは重複悪化説と呼ぶことにしよう。先に北海道の河川管理の例を出してこの重複悪化説を見てみたが、この問題を日本の自然管理の課題に絡めて、もう少し踏み込んで考えてみたい。
 流域管理や環境ガバナンスという言葉が今流行っている。この言葉の定義について正確に話そうとすると長くなるので単純化するが、要はこれまで土地利用ごと組織ごとにバラバラに管理されてきた地域の自然管理だが、そもそも自然は流域や地域全体、北海道全体でつながっている系なので、バラバラ管理ではなく、これからは流域全体で関係主体全体で連携をとりながら管理していきましょうという概念のことである。現状において大規模な法律改正や組織改変が期待できない以上、当面の課題となるのは、バラバラだった管理主体、制度などをいかにつないでいくかという試みである。しかし現状では、萌芽的な取り組みは始まっているがなかなか質を伴ったレベルまでは進んでいない。その原因はいろいろあるが、一つには先に述べた重複悪化説があるだろう。
 たとえば流域管理を進めていこうとすると、これまでの管理主体ととりまとめ者の間に仕事の重複が生じ、利害関係が生じる。また流域協議会のような仕組みを作ると、これまでの管理主体と協議会参加者の間で仕事の重複が生じ、利害関係が生じる。これまでの管理主体の側からみれば、自分の庭に土足で入ってこられるようなものだ。利害関係が生じると、感情的な対立に発展しやすい。そうなれば流域協議会も一気に進まなくなる。
3 重複悪化説を乗り越えることはできるか 
 この重複悪化説を乗り越えるために我々は、他者を思いやる精神と絶えざる対話に可能性をかけてきた。それらの作業を繰り返すことで共通意識を醸成し次の段階にステップしていくと議論してきた。しかし最近私は、やや悲観的になってきている。それは「他者を思いやる精神」や「絶えざる対話」は理念上は正しいと思うが、今の現実を見ると、現場レベルの人々にそれらの精神を求めるのはハードルが高すぎると思われるからだ。もちろん自分はできるけど、他の人はできないと言いたいわけではない。私自身だってどれだけできているか大変怪しい。近代化の過程において「他者を思いやる精神」は後退しているのに、時代に逆行するようにこの精神を求めてもどれだけ実効性があるか。「絶えざる対話」はもともと西洋的な価値観だが、これを日本に当てはめようとしてもすぐにできるものではない。現実ではほとんどの人が超えられないハードルなのに、「それを超えるしかない」と議論だけするのは自己満足以上のものにはならないような気がする。
 このような議論を展開すると、「諦め主義者だ!」「ニヒリストだ!」と言われたりもする。実際わたしはある勉強会で、元朝日新聞記者の本多勝一氏に対しこのような問題意識で発言をしたとき、本多氏より「敗北主義」という罵声を浴びせられたことがある。しかし理想ばかり言って何も進まずストレスを溜めるスタンスと、ゆっくりではあるが現実的な手を打ちながら一歩ずつ理想を目指していくスタンスを比較すると、わたしは断然後者を選択したいと思う。「やればできる」「頑張れば夢はかなう」という単純な意気込みだけでは世の中動いていかないというのが基本的な社会認識だ。そのような社会の中で実際に動かしてくプロになりたいと思えば、ただ熱くなればそれで良い、行動すればそれで良いというレベルの話ではなくて、現実への冷めた視点、人間や社会のドロドロとした暗部をしっかり見据える必要があり、それを踏まえ対応策を考えることが求められるであろう。
4 社会政策を考える上でのIR問題
 求められるハードルが高いという話でいえば、ベストセラーとなった高橋哲哉靖国問題」に対する佐藤優氏の批判を思い出す。佐藤は「国家の自縛」においてこう指摘する。

高橋哲哉の)倫理基準はハードルが高すぎるんですよ。「悲しいのに嬉しいと言わないこと」、「十分に悲しむこと」、この倫理基準を守ることができるのは真に意志強固な人間だけです。悲しみを無理をしてでも喜びに変えるところから信仰は生まれるし、文学も生まれるのだと思う。結局のところ、悲しみをいつまでも持ち続け、耐えることができる人物は、一握りの強者だけになると思うんです。(73p)

国家の自縛
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 佐藤はここで、理念上は正しくても実際の多くの人々はそれほど強くなれないという、理念と実際の開きの大きさ、そのような圧倒的な差の中で理念上で正しいことだけを言う実効性について疑義を呈している。これとまったく同じ構造をわたしは流域管理や環境ガバナンスの仕組みづくりの議論に感じている。この問題構造について理想(ideal)ー現実問題(reality)、略してI-R問題と呼ぶことにし、今後認識を深めていきたい。
 いずれにせよ、流域管理や環境ガバナンスについては緊急の課題となっているため、「他者を思いやる精神」「絶えざる対話」にこだわり過ぎずこれは長期的な目標に切り替え、短期的には別のアプローチの方法を考えていくことを検討している。
5 印象に残った指摘
 話がかなり脱線してしまった。最後に本書の記述で記憶に残ったものを箇条書きにしたい。

現地の空気をよく見て自分の勘をたいせつにすることだ。理屈と勘がぶつかった場合は、勘を重視することを勧める。(39p)

…ロシアの病理現象は腐敗した体制だけでなく、全ての問題を社会のせいにして人間性に潜む悪を直視しないマルクス主義者や革命思想家にもあると批判し、ロシア土着の保守思想を構築する必要を訴えた。(54−55p)

人間は生まれながらに指導者となるタイプと補佐官型がいる。(203p)

知の型には二つある。一つは、新しいものを創り出す知性だ。…これをもっている人は非常に少ない。…第二は、一流のオリジナルな知を、別の形に整えて、別の人々に流通させる能力だ。203−204p

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(私の本書の評価★★★★★)
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