毛沢東の評価―司馬遼太郎のリーダー論を援用して

 山崎豊子著「大地の子」に感動した余波で、中国の文化大革命に興味を覚え、いくつか文献を読んできた。文化大革命は1960年代後半から1970年代前半の中国で席巻した権力闘争および内戦状態のことだが、文革の内実を知れば知るほど、それは毛沢東問題であるということが分かった。毛沢東の政策能力の低さ、でも権力欲・性欲だけはあるよ、という「皇帝」ぶりが、文革の悲劇を呼びこんだのである。
 かつて作家の司馬遼太郎は、リーダーの2タイプとして、時代の違いを指標として提示したことがある(「竜馬がゆく」7巻90p)。世が安定している、いわゆる治世の時代のリーダーと、世が不安定になっている、乱世のリーダーの2タイプだ。治世の能史は緻密な計画性のあるリーダーのこと。一方、乱世の能史は物事をおおざっぱにつかみ果敢な行動力があり度胸があるリーダーのことを指す。時代状況が、必要とするリーダー像を分けるのである。
 この2タイプでみれば、毛沢東は明らかに乱世の能史だったのだろう。長征の不遇の時代にも自給自足のゲリラ戦を生き抜き、日本軍降伏のあと宿敵国民党軍を追い落として、中華人民共和国を建国した。そこまでは毛沢東はすごかった。しかし、そこからがイタダけない。大躍進政策の失敗、人民公社化の失敗、そして文化大革命。彼の繰り出す政策はことごとく、きれいさっぱり、すべからく、ものの見事に大失敗した。彼は、緻密な計画力、政策力はまるで持ち合わせていなかったのである。毛沢東の治世の時代における無能さ(だけど自己顕示欲だけは人一倍)が、近代中国の悲劇を呼んでしまった。
 ちなみに日本の最近の政治家でいえば、乱世のリーダータイプは、大雑把に物事をつかみワンフレーズで国民に表現して、自民党を分裂させてまで郵政民営化に突き進んだ小泉純一郎だろう。治世のリーダータイプは政策通と言われた橋本龍太郎といったところだろうか。
 話を毛沢東に戻そう。彼を評価するとき、教条主義的な融通の利かなさが指摘できる。時代が変わろうが、状況が変わろうが、自らの毛沢東理論に拘泥し、その枠からいつまでも出ることができなかった。それが大躍進政策人民公社化の大失敗につながった。その点、毛沢東後の指導者の一人である訒小平の考え方は対照的だ。彼の有名な白猫黒猫論(白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である)に見られるように、社会主義であろうが資本主義であろうが農業生産が最も上がる状況が良いという徹底的な合理主義がそこにある。私は実務者の立場なので、毛沢東より、断然、訒小平を支持したい。