わたしの組織嫌い

 わたしは組織に属して働いている者だが、考えてみると、わたしほど組織を嫌悪し、バカにしている人間もすくないかもしれない。とにかく組織の論理というのが嫌いなのだ。これは論理を越えて、わたしの実存に基づくものである。
1 年功序列型人事の弊害
 たとえば組織のひとつのセクションで、部長ー課長ー係長ー係というピラミッド構造があるとする。この縦の序列は多くの民間企業、役所で採用されている体系である。そして、年功序列型の人事を採用している会社なら、どんなに能力がなく仕事ができず周りに迷惑をかけているばかりの人物でも係→係長→課長あたりまでは昇進していく。役所ではいまだにこの手の人事が横行していると聞く。役所に行って、管理職の対応や発言がトンチンカンだった経験をもつ人は多いと思うが、それはこの硬直的な年功序列型人事によって作られているのだと聞いた。
 お客様対応だけではなく、企画の発案などでも年功序列人事の弊害が出てくる。たとえば課長あたりが先の例のように大バカ野郎だったら、優秀な係や係長が出した案を課長が理解できず、潰してしまうという展開もありえる。このようなことは実際にそこらじゅうで起こっている。組織の論理を振りかざす人たちは、それでも「しっかり課長の許可をとって仕事をしなさい。それが組織の仕事なのだから」としたり顔でいう。
2 われわれの仕事の目的
 しかし考えてみてほしい。
 われわれは本来誰のために仕事をしているのか、その達成のためにどうすれば良いのか、ということを。たとえば役所だったら、良い仕事をして住民サービスを高めることが第一の目的になる。誰のために仕事をするかと問えば、住民のためであり、決して「組織のため」が第一にならない。住民サービスを高めるのに、先の例の大バカ課長が足を引っ張っているとすれば、課長の許可なく仕事をすることを考えなければいけない。それが住民サービスを高めるための有効な手段という場合もある。
 民間企業でも、たとえばその企業自身のために仕事をするとしても、儲けるためには良い商品・サービスを作って売らなければいけない。消費者に受け入れられなければならない。企業活動を活発化させるのに先の大バカ課長が足を引っ張っているとすれば、課長の許可なく仕事をすることを考えなければいけない。それが企業のためにもなり、そして消費者、社会のためにもつながる。組織の論理を振りかざし建前論をくりかえす輩は、自分たちの仕事の本来の目的、それを達成するため手段、という視点が圧倒的に欠けている。
3 責任の問題
 この手の議論をすると、組織大好き君たちは必ず「そうは言っても仕事のミスがあったときは上司(管理職)の責任になる。だから事前承認は必要だ」と反論する。しかし管理者責任というのも、そもそも分かるようで分からない考え方だ。たとえば係や係長が課長に許可を得ずにミスをしたとき、その責任は係や係長だけにあると考えれば良いではないか。それで済む話ではないか。それを覚悟で、自己の責任において仕事を進めたのだから。
 たとえば今騒ぎになっている民主党のメール問題。結局、前原誠司代表はその責任をとって辞任した。彼は永田議員が持ち込んだ問題のメールを事前にチェックしてGoサインを出したから、今回の件について責任はあるだろう。しかし、もしメールを事前に見ていなかったとしたら、果たして彼に責任はあるだろうか。メディアは面白がって「責任を取ってお辞めにならないですか?」と質問するだろうが、わたしは責任はないと思う。基本は当事者責任だと思うのだが。
 部下のミスの責任はすべて上司にある、という思考方式が、これまでどれだけ企業や役所の活性化の足を引っ張っていったことだろう。こんな拡大解釈をいつまでも続けているから、いつまでも管理職は保守的になる。
 もちろん当然のこととして、すべての業務において自分勝手にやって良いという話ではない。そうなれば社員みなの仕事がバラバラになってしまい、役所なら住民のため、企業なら企業自身のためにならない。通常業務は従来どおりの縦の序列の許可でおこない、一体性を持たせる必要があるかもしれない。しかし重要案件で良い案が大バカ課長に潰されそうになったときなどは、自己の責任において許可なく仕事を進めても良い場合があるとかんがえる。
4 そもそもの問題の人事のあり方
 この問題は、年功序列型人事の問題に直結する。最近では能力主義型人事に対して懐疑の声もあがっているが、これから民間企業にしても役所にしても、より良い人事のあり方をもっと議論しなければいけない。適正な能力評価をいかに実現するかというのがキーだ。また部長ー課長ー係長ー係という縦系列を明確にする方法ではなく、(部長)ー(グループリーダー)―(グループメンバー)という程度のグループ制にして、フラットに近づけた方が柔軟性があって良いかもしれない。まだアイデアレベルだが、そうなれば責任の問題も各グループメンバーがそれぞれに負うことになる。ミスが起こったときに上司ばかりが責任を取るのではなく、実際に仕事をすすめているグループメンバーにも責任があるということだ。今後も検討していきたい。
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