内山節「時間についての十二章―哲学における時間の問題」

4000029312時間についての十二章―哲学における時間の問題
内山 節

岩波書店 1993-10
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 伝統的山里の視点から、自然と労働の問題について思考を深める哲学者・内山節の代表作。群馬県上野村という山村での生活に基づき、「時間」というキーワードを頼りに、近代社会の生活と労働のあり方を問い直す意欲作である。平易な言葉でエッセイ風に書き進められるのが、言葉は練りに練られており、行間に噴出する思想は深く、何度でも読み返し、反芻したくなる哲学書である。環境問題、自然管理のより根本的な問題まで踏み込んで考察しているので、環境問題に興味のある方にも必読の書といえよう。これほどの名著がなぜ増刷されず、今、容易に手に入らない状態になっているかが理解できない。

1. 直線の時間と円環の時間
 本書のキーワードは「時間」である。本書では、山村の労働の問題から、林業経営の問題、河川管理の問題、近代的市民の不安の問題など多くの問題を扱っているが、わたしの理解がまだ十分ではないこともあり、ここでは山村の時間と現代社会の時間について議論に絞ってまとめることとする。内山は、まず「直線の時間」という対立概念を示しながら、「円環の時間」という概念を提示する。
 直線の時間とは、過去・現在・未来が直接的に結ばれた時間であり、それは過ぎていく時間であり、けっして戻ってくることのない不可逆的な時間である。われわれ現代人がイメージする時間の概念だ。私たちは激動のグローバル社会の中で経済活動を行っており、この世界では常に変化や進歩が求められている。しかし一方で内山は、群馬県上野村での生活体験から、山村には円環の時間の世界が共有されているという。
「春が訪れたとき、村人は春が戻ってきたと感じながら、それを迎え入れる。去年の春から1年が経過したと感じるのは縦軸の時間(直線の時間)のこと、もうひとつの時間世界では、春は円を描くように一度村人の前から姿を消して、いま私たちのもとに戻ってきたのである」(22p)
 この円環の時間は、村の生活や労働の中から紡ぎだされた時間世界であり、春には春の労働が、秋には秋の、冬には冬の労働が永遠に戻ってくる。ここには労働と結ばれている、回帰する季節の暮らしがある。
 この円環の時間のポイントは、つねに帰ってくる時間世界ということだ。1年という時間を経て、春が帰ってくる。それは決して新しい春が来たということではなく、去年と同じ春が今年も帰ってきたということなのである。ここには「一度過ぎ去った時間は二度と帰ってこない」というたぐいの直線の時間は存在しない。
2. 直線の時間と自然のリズムの非対称
 円環の時間世界は、自然のリズムにも調和的だと内山はいう。なぜなら、森や動物などの生活も季節の中で春を迎え、冬を迎えるという循環する時間の世界なのだから。さらにもっと大きな円環の時間のなかでは、老木は倒れ、それに代わって新しい木が伸びながら、自然の世界は永遠の円環運動のなかに存在しつづけているのである。
 ところが戦後日本の高度成長は、かつての円環の時間と共にあった山村生活を否定し、直線の時間での生活を強いる過程でもあった。なぜなら企業活動も、そこでの仕事の内容も、働く者の地位や賃金も、直線の時間とともに変化していくことを前提としているのだから。直線の時間に生きる現代人から見れば、円環の時間の中にある山村の生活は、停滞を感じさせるものとなってしまった。
 円環の時間、直線の時間というキーワードを頼りに展開される内山の分析は、それはそのまま戦後日本の社会システムへの問い直しにつながっている。そして現代社会が抱える大問題の環境問題に対して、直線の時間=現代人の生活、円環の時間=自然の生活という時間のズレの中で、果たして現代社会において人間と自然との共生は可能なのだろうか、と疑問を投げかける。

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(私の本書の評価★★★★★)
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