「21世紀の倫理を考える④」(勉強会での発言要旨)

7.探検部の探険論争

 それでは次に②に進んで、「『あえて』やる前向きさ」という規範について説明します。これも対立モデル「しらけムードのニヒリスト」にかかわる、わたしの体験から話をはじめます。
 かつてわたしが学生時代に探検部という団体に所属していたのですが、部内ではしばしば、探検論争らしきものが戦わされていました。この内容を端的に言うと、探険否定派と探険肯定派の両陣営に分かれて、喧喧諤諤と議論していたわけです。探検否定派の主張はつまり、現代はもはや探検の時代ではない、というものでした。わたしはもちろん探険肯定派だったのですが、探検否定派の主張も一定の根拠を持っていました。
 いわゆる「探検」と言ってすぐに頭に浮かぶのは、「極地探検」です。世界には3つの極地があると探検の分野では言われていますが、いわゆる高みの果ての極地エベレスト、北の果ての極地の北極点、南の果ての極地の南極点の3つです。探検否定派の主張は、世界の3つの局地、北極、南極、エベレストはすでに征服されてしまい、かつ地球上で地図の空白地帯はなくなっているということ。だから今さら探険などやってもしょうがない、というものです。
 一方われわれ探検賛成派は「いやまだ探検はあるんだ」という主張です。極地や地図の空白地帯の探検はいわゆる古典的な探険観で、探険はそもそもそんなに狭い概念ではない、アイデア次第ではまだまだ探険はできる、というスタンスです。そのスタンスでわれわれは、北方四島の調査などをやったりしました。

8.「しらけムードのニヒリスト」モデル

 こんな論争がしばしば起こっていたのですが、わたしが探険否定派の人たちの議論を聞いていつも不満だったのは、この陣営の人たちは結局、否定ばかりして何もしないんですね。探検を否定しておいてなぜ探検部にいるんだろうと、突っ込みは可能なのですが、こういうタイプの人間ををわたしは「しらけムードのニヒリスト」と呼んでいました。圧倒的な現実の前に打ちひしがれたり、物事を相対化することにより無力感に襲われ、理想を持つことができずニヒリズムにひたるタイプです。結局、何もやらないのです。
 こういうタイプは他にもけっこういますね。「アメリカは強いから日本は従わないと」とはじめからあきらめてしまっている人。または「そんなことをやってもしょうがないよ、意味がないよ」を連発し何もやらない無気力な人などは時々いますね。
 ここでまた民主主義の議論に引きつけて考えますと、こんな「しらけムードのニヒリスト」ばかりの日本になってしまったら、そこで民主主義やられたらに日本はどうなっちゃうんでしょうか。悪口は言うけど何もやらない、情けない国になってしまいますね。

9.「『あえて』やる前向きさ」という規範

 このような事態にならないように、われわれには「『あえて』やる前向きさ」という規範が必要ではないかと考えます。ものごとを冷静に相対化する作業は必ず必要ですが、そこで夢がもてなくなり、いじけてしまうのではなく、それでも「あえて」やってみるという前向きなスタンスです。
 ものごとを相対化する作業は必要です。ただ単に「頑張れば報われる」と、NHKプロジェクトX的な単純思考では、現代の複雑な社会では通用しないと考えます。対象を厳しく相対化することは必須です。そこで当初思っていた思い込みとか、価値とかが分解されて、夢が持ちにくくなる傾向はあります。恋愛だって、単純思考で衝動に突き動かされるから燃えるわけですね。一歩引いて冷静に恋愛を相対化すると、なかなか燃えることはできないわけです。
 しかし、相対化した上で、それで結局、ものごとなんてその程度のものだけど、それでも「あえてやってみる」、やってみたら楽しいぞ、そのようなスタンスが、これからの社会の規範として必要なのではないでしょうか。

10.ジャーナリスト・本多勝一さんとの対話

 それでは次に③に進んで、「積み上げ型理想家」という規範について説明します。これも対立モデル「理想まっすぐ飛躍君」にかかわる、わたしの体験から話をはじめます。
 ジャーナリスト・本多勝一さんという方をご存知でしょうか。元朝日新聞記者で、今は週間金曜日という雑誌の編集に関わっている方です。「カナダエスキモー」だとかの探険3部作から、「戦場の村」「中国の旅」など、実に膨大な本を書いています。行動力があり、しかも分かりやすい文章を書くのが大変上手な方ですので、わたしも一時期彼の本を熱心に読んでいた時期がありました。その本多さんと、わたしは学生時代に講座で一緒になったことがあります。

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 一時期、憧れた時期もあったのでドキドキして当日を迎えたのですが、正直ガッカリさせられました。教育問題か何かのテーマで本多さんが問題提起したのですが、その中で、本多さんは英語教育の問題を取り上げてさんざん言うわけです。本多さんはもともと極端な物言いが好きな方ですが、
「英語なんて植民地言語だ、こんな言語を国際共通語などにしてはならない」
なんてやるわけです。「なんか、おかしいぞ」と思ってわたしは手をあげて発言しました。
「本多さんの言うとおり、英語は欧米の植民地支配をベースに広がった言語と思いますが、もはや英語は世界の共通語になろうとしています。今の段階で、英語を全否定する姿勢は問題があるのではないでしょうか。それよりも、今の日本人は英語を身に付けて、国際舞台でガンガン交渉し、経済・文化の面で欧米人に打ち勝つ、そういう、したたかな戦略が必要ではないでしょうか」
 そうしたら本多さんは語気を強め、「君の考えは敗北主義だ」と言いました。

11.「理想まっすぐ飛躍君」モデル

 このようにレッテルを貼られ恫喝されたら、もう議論にならないわけです。間違ったことはすべてダメだ、全否定というスタンスだと思うのですが、理想を言っていれば世界は変わると思っているのでしょうか。こういうタイプの人をわたしは「理想まっすぐ飛躍君」と呼んでいます。このモデルをもうすこし膨らまして定義づけすると、高い理想に燃えるがあまり、今の汚れた社会が許せず、すぐに極端な理想社会に飛びつこうとするタイプのことです
 しかし「理想まっすぐ飛躍君」ばかりの社会になったらどうなってしまうのでしょうか。今、学校での英語教育を日本でやめてしまい、本多さんの言うように、エスペラント語教育にしたら、日本の今の諸学国との経済交流とか、文化交流とかは今後どうなってしまうのでしょうか。諸外国とコミュニケーション不全になって、孤立してしまうのではないでしょうか。北朝鮮みたいに。

12.「積み上げ型理想家」という規範

 このような事態にならないように、われわれには「積み上げ型理想家」という規範が必要ではないかと考えます。理想を持ちつつも、急激な変化を目指すのではなく、歩みは遅くとも、現実を踏まえた上で、一つ一つ積み上げて理想に向かうようなスタンスです。 この規範のモデルで、最近ぴったりと思っているのが、メジャーリーグイチロー選手です。ご存知の通り、イチロー選手は大活躍しており、昨年はメジャー年間安打記録を更新しました。そのときのコメントが非常にイチロー選手らしいのですが、次のようなことを言っています。
「自分自身の持っている能力を生かすこと」
 まずこの「自分自身の持っている能力」という箇所がミソなのですが、イチロー選手は決して背伸びしすぎないわけです。メジャー入りしたからといって、ホームランバッターを目指したりしません。現実を踏まえた上で理想を設定し、ヒットを積み重ねるという自分のスタイルを自覚し、そこを徹底的に磨いていくわけです。
 次の「小さいことを重ねることが、とんでもないところへ行くただ一つの道」発言も、一つ一つ積み重ねて理想に向かうようなイチロー選手のスタンスがにじみ出ています。まさに「積み上げ型理想家」そのものです。
 いずれにせよ、民主主義を健全に機能させるためには、「理想まっすぐ飛躍君」ではなく、イチローのような「積み上げ型理想家」モデルが、遠回りなようでも幸せな社会を実現する道ではないかと考えます。

イチロー262―地元紙が伝えるメジャー新記録への軌跡
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13.まとめ

 それでは最後にまとめさせてます。
 民主主義への疑問から本スピーチははじめたわけですが、国民の意思を反映させる政治という民主主義はもろ刃の剣であること、そして民主主義を健全に機能させるためには、国民の倫理観(民度)の向上が重要であるといえます。この問題設定において、わたしは「なってはいけない」人間像として、事例を出しながら「脳みそ預けたロボット君」「しらけムードのニヒリスト」「理想まっすぐ飛躍君」の3つを提示しました。そしてそうならないための倫理観として、「自立した個」「『あえて』やる前向きさ」「積み上げ型理想家」の規範が必要と主張しました。
 以上です。ご清聴ありがとうございました。
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