梅棹忠夫さんの死

 7月3日、人類学者で、国立民族学博物館の創設者だった梅棹忠夫さんが亡くなった。90歳で老衰というから、大往生だ。だけどわたし個人としてはとてもさびしい。

 梅棹さんを最初に知ったのは、探検部つながりだった。梅棹さんは日本の大学の探検部の先駆である京都大学探検部に影響を与えて、時には支援もしていた。わたしも探検部に所属していたので、探検部のルーツである京都大学探検部を調べていくうちに、梅棹忠夫今西錦司らの京都学派に行き当たった。

 梅棹さんの文明の生態史観理論は、まさに眼から鱗的な興奮を覚えた。ユーラシア大陸を主眼に据えた社会発展理論だが、そのスケールの大きさと、シンプルで分かりやすい整理、短い文章だがやたらと説得力のある書きぶりが印象的だった。

 知的生産の技術での、思考整理法にも影響を受け、実際に彼が提唱した書類分類法、ござね法と呼んだ文章構築法は実践していた時期もあった。モゴール族探検記の、探検ものとしての無類の面白さ。失明時の体験を淡々と綴った「夜はまだあけぬか」には、絶望から希望へと向かう強靭な意志力を感じた。

 梅棹忠夫著作集(全22巻 中央公論社 1989−93年)をわたしは持っている。大学院に進学する時、両親にもらったお祝いを使って、かなり奮発して買ったのである。東京の早稲田大学の古本屋街で、たしか6万5千円くらいで買った。著作集なるものを全巻買ったのは、この36年間、梅棹忠夫さんただ一人だ。

 北海道独立論、遅刻論など思い出は尽きない。本棚に全集を並べるのはさすがにスペースの問題でできないが、わたしの机の近くの本棚にはつねに全集の「人生と学問12巻」「アジアをみる目6巻」「探検の時代1巻」が置かれている。時々ふとぱらぱらめくっては、梅棹氏の自由な精神世界を感じ、癒されているのだ。

 直接会ったことはないが、梅棹さんからは、視野の広さ、自由な発想、学問の楽しさ、探検的であることの大切さを学んだ。

 ひとつの時代が終わった。とてもさびしい。

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