勝ちに徹した石井慧、理想で負けた塚田真希②(日本「柔道」から世界の「Judo」へのコペルニクス的転換)

 日本古来の「柔道」は、一本勝ちに徹底的にこだわってきた。どんなにポイントで有利になっていても、最後まで一本勝ちにこだわる。最近の選手で言えば、井上康生鈴木桂治の柔道スタイルである。彼らの柔道は見ていてすがすがしいし、美しい大技が決まれば、スカッとする。相手がどんな相手でも、自分の良いところを出す柔道をする。そんな美しい理想の上にあるのがこれまでの日本の「柔道」だったのだ。

 しかし最近の国際ルールの変化はめざましい。第一に、返し技の判定が甘くなった。たとえば先の世界選手権で鈴木桂治は大外刈で相手を倒したのに、相手側の一本となり負けた。大外刈で相手が倒れたあと、相手が鈴木選手を転がしたからである。これまでのルールでは、先手で技を決めたのは鈴木選手なので、何の迷いもなく、鈴木桂治選手の一本勝ちだった。しかし今の国際ルールでは、もつれたとき最後に背中をついたほうが負けるルールになってしまったのである。せっかく立っている状態から豪快に投げても、投げた勢いを利用して相手に最後に転がされたら、豪快に投げた方が負けてしまうのである。
 第二に、少し攻めていないとすぐに「指導」がくる。そのスピードが年々早くなってくる。少しでも休んでいたら指導ポイントである。今回のオリンピックでも、「おいおい、そんなに早く指導を出したらかわいそうだよ。それなりに攻めてもいるのに…」と思うことがたびたびだった。これまでの日本のルールではこんなに早く指導はこなかった。
 また日本ルールでは、指導の前に「教育的指導」というのがあった。この「教育的指導」はポイントにはカウントされていなかった。しかし今の国際ルールではいきなり「指導」で、これはポイントにカウントされてしまう。「指導」は技の「効果」と同等のポイントだ。大きなポイントだ。国際ルールは、常に動いて技をかけていないと反則負けをしてしまうようなルールに、いつの間にかなってしまった。
 第三に、今の国際ルールは寝技をほとんどさせない。ちょっとでも寝た状態でいるとすぐに「待て!」がくる。寝技を得意とする選手にとっては不利なルールだ。

 これらのルール変更は、古来の日本柔道には不利だった。一本を目指す日本柔道は、しっかり組み合うところから始まる。しかし今の外国人選手は組み合わなかったり、半身になったような変則的な組み方をする選手も多い。しっかり組もうと組み手争いをしていれば、すぐに日本の選手に「指導」が来てしまう。外国人選手はしっかり組んでいなくても技をかけるから、日本人選手の技の数がどうしても少なくなってしまうからだ。しっかり組んで一本を狙うこれまでの日本柔道からみれば、この指導の早さは決定的に不利なルール変更だ。
 また先の世界選手権の鈴木桂治選手ではないが、技をかけて倒したのに、最後に転がされ負けるケースも時々みる。また寝技をほとんどさせてくれないということは、寝技だけでみればほとんどの階級で日本人選手が群を抜いて強い状況なのに、その強みが生かされないルールとなってしまっている。ここ数年、日本代表の成績は極端に落ち込んでいる。

 そんなときに彗星のごとく登場したのが、石井慧選手だ。彼は、「反則勝ちでも一本勝ちでも、勝ちは勝ちで同じ」と公言する。「美しい技がいいのなら、体操競技にいけよ」という。日本の一本勝ちの精神を受け継いでいる柔道家が聞けば穏やかではないことをヘーゼンと言う。しかし彼は、今は日本の「柔道」ではなく、横文字の「Judo」の時代なのだから、一本勝ちにこだわる精神は捨てて、とにかくポイントでもなんでも良いから勝つ柔道に徹しないとだめだ、と喝破する。今回のようなオリンピックの結果を見ると、石井選手の言っていることはますます説得力を増している。

 これが国際柔道の流れとすれば、これまでの日本の柔道観はコペルニクス的転換を迫られている。一本ではなく、勝ちにこだわる柔道に転換しなければいけないのだ。美しい技ではなく、泥臭くても勝つ。
 この流れにいち早く適応しようとしたのが、石井慧であり、そしてあまり知られていないが、この8年くらいの田村亮子谷亮子)なのである。谷は、一本勝ちへのこだわりを捨てたことで、歳とともに技のキレが落ちるなか、連戦連勝を重ねていった。近年、彼女から技にはいることは極めて少なくなった。相手に技を出させてそれを返したり、その力を利用する省エネ柔道に徹していた。指導ポイントを常に意識して、「ここだ!」というときは、掴んでいる襟をさかんに振って相手を引き回し、攻めているフリをする。審判にアピールしているのだ。この戦法は石井も同じである。しかし石井が独特なのは、まず相手の良いところを消すところをから試合にはいるところだ。
 石井や谷の柔道は、鮮やかな大技で勝つことは少ないので、見ていてスカッとした気分にはあまりならない。しかし、「勝利」という結果は必ず残す。そのような「勝ち」に徹した柔道がこれからのスタンダードになることは間違いない。

 その点、最終日の女子78キロ超級の塚田真希は、柔道観は昔のままだった。最後まで、一本勝ちという「理想」にこだわった。その姿勢は美しかった。しかし、試合に負けた。
 決勝は最大のライバル、中国のトーブン。試合終盤までポイント的には有利だった。最後の20秒まで有利だった。しかしそんな自分の状況を冷静に判断し、勝ちに徹した柔道をするのではなく、最後の最後まで一本勝ちを狙った。がっぷりと相手と組み、がむしゃらに前に出て攻め続けた。がっぷりと組むということは相手も技を出せるということである。残り数十秒、不用意に前に出たところを、トーブンはスッと腰を落とし背負いにはいった。塚田はつまづいたように転び、そして背中をついた。一本負け。残り数十秒。まさかの大逆転負けだった。

 石井が決勝の最後の1分は技らしい技をほとんど出さず、右腕を棒のように突っ張って相手の技を封じていた姿とは好対照だった。勝ちに徹した石井と、理想にこだわり負けた塚田。戦い方として美しい、すがすがしい、というレベルで判断すれば、塚田のが断然すがすがしいだろう。石井の柔道は泥臭いし、計算高いし、美しくない。彼の柔道に対しては「卑怯だ」という批判も根強い。しかしプロスポーツは結果がすべてである。石井は結果を残し、塚田は結果を残せなかった。
 これからの日本柔道の進むべき道が見えたような気がした一日だった。

 わたしも昔の柔道を教わった者なので寂しいものもある。井上康生鈴木桂治古賀稔彦吉田秀彦の抜群の切れ味の大技、一本勝ちに魅了され、柔道をしてきた人間である。しかし、今の国際柔道の流れは圧倒的だ。そもそも青色柔道着の導入が、日本柔道連盟の猛反対にも関わらず国際柔道連盟によって押し切られてしまった時点から、JUDOは「柔道」から離れていったと思う。そんな頭の整理が、わたしたち日本人には必要なのかもしれない。
 それでもわたしはJUDOというスポーツが好きだし、今のルールで日本人選手に勝ってほしいと思う。柔道に対する価値観を一変させなければいけない。コペルニクス的転換をしなければいけない。