勝ちに徹した石井慧、理想で負けた塚田真希①(日本「柔道」から世界の「Judo」へのコペルニクス的転換)

 柔道最終日に、男子100キロ超級で日本の石井慧国士舘大学)が、危なげない柔道で優勝した。
 石井慧は勝ちに徹していた。一本勝ちを狙うというよりも、したたかな計算で勝つ柔道に徹していた。初戦から決勝までの戦いで、リスクのある大技は少なかった。豪快な一本勝ちを狙う大技に出れば、返されたり、すかされたりするリスクが伴う。これまでの日本柔道は一本勝ちを最高の価値と認め、リスクをとって大技に挑んでいく柔道だった。しかし石井は違った。
 攻めていないわけではない。左の釣手を盛んに動かしながら、前後、左右にたくみに動き、小内、大外、大内という足技を繰り出す。常に先手、先手で攻めている。試合の終盤にさしかかっても、猛練習で身につけたスタミナで動きはほとんど落ちない。石井は終始、動き続け、攻め続けているように見えた。
 しかし初戦から決勝までの戦いで、内股や体落とし、大外刈などの大技を本気で狙った機会は少なかった。大外は頻繁に出していたが、返されるのを警戒しながらの浅い入り方が多かった。少し返されそうになるとすぐにつぶれて返し技を防いでいた。「この技で決めにいく」というよりも、「かかったら儲けもの」というような技の入り方も多かった。リスクをとらずに小技を繰り返して、とにかく手数を増やす。相手には十分な組み手にさせず、技を出させない。そうやって石井が一方的に攻めているように見せる。最近の国際ルールは攻めていないとすぐに指導ポイントが来るから、技でポイントを取らなくても指導ポイントを積み重ねていけば自然と勝利はこっちにやってくる。「負けない柔道」に石井は徹していた。

 決勝なんてその典型だろう。決勝の相手は、左組みのウズベキスタンのタングリエフ。力の強い相手で、肩車やすくい投げ、担ぎ技など豪快な技をもつ。相四つの組み手で、石井はがっぷりに組まない。石井は左組みなので、通常なら、自分の右手は相手の左袖をつかむものだ。それが教科書的な正しい持ち方だ。しかし石井は相手の左袖を持たず、相手の左襟を握った。まるで右組みの選手のような組み手だったのである。

 どうしてそんな変則的な組み手に石井はこだわったのか。それは簡単である。石井は相手の左襟を持ち相手の脇の下に右手を入れ、そして右腕を棒のように突っ張っていた。そうすれば、相手は左腕の引き付けができなくなり、相手の釣手が完全に死んだ状態になるのである。相手は技に入れない。石井は、まず防御の組み手から試合に臨んでいたのである。そして時々、左手で相手の右襟をもち、両袖をもった状態から、小内、大外、大内という足技を繰り出していたのである。
 石井は、自分の組み手になって得意技で勝負するというより、相手の技を徹底的に封じることから試合に入っていた。自分の良いところを出す柔道ではなく、相手の良いところを出させない柔道なのである。これが石井のいう、新しい時代に適応したスタイルの柔道なのだ。(つづく)