安倍晋三首相の辞任報道にふれて(マキャベリズムの観点から)

 安倍晋三首相が辞任を表明した。所信表明演説をしたばかりというこのタイミングの辞任に批判が相次いでいる。首相の所信表明演説というのは私風にいえば「頑張ってやりまっせ宣言」であり、「さてこれから!」というこのタイミングで辞めるのは、あまりに間が悪すぎるし、空気が読めていない(世間でいう「KY」)。そして、ドン詰まりまでいって追い詰められないと決断できない「決断力のなさ」を感じる。安倍首相らしい辞め方といえばそれまでだが。
 この手の発言はメディア上に溢れているから、ここでまた繰り返すことはしない。ここでは、わたしがかねてより安倍首相に感じていた不安について、マキャベリズム論の観点から書いてみたい。
 ニッコロ・マキャヴェッリは、イタリアの中世の政治思想家であり「君主論」の著書が有名である。マキャベリは「君主論」の中で、新しく成立した権力がもつ困難性について指摘している。つまりこういうことである。
 新君主は就任当初より、権力を握る過程で傷つけ蹴落とした人々を敵に回している。そしてかつて応援してくれた人々も、応援の動機が彼ら自身の状況改善であるから、新君主が期待に沿えなかったら彼らも味方にはならない。しかし新君主は、彼らから恩義を受けているため強い態度に出られない。むしろ反乱を起こしてくれた方のが良い。反乱があればそれに加わった人を徹底的に処罰し追放し、新君主は自らの権力基盤を固めることができる(「君主論」34-35p)。
 この文脈で重要なのは、かつて応援してくれた人々に対する対応の難しさである。応援してくれた人が多ければ多いほど彼らの期待に応えることが困難になり、政権内部に不満が溜まる。だからと言って、新君主は彼らに対して強力な手段を用いることもできない。不満が溜まり、新君主は何もできないまま自滅する。この構図のことを「応援者へのジレンマ」と呼ぶとすれば、安倍晋三首相はまさにこのジレンマにはまってしまったのである。
 安倍首相は2006年9月の自由民主党総裁選挙で、麻生太郎氏、谷垣禎一氏を大差で破って首相の座を射止めた。総裁選挙の結果は、安倍晋三氏は全体の2/3の票を集め、2位の麻生太郎氏を3倍以上の得票差で破るという圧勝だった。そして選挙時に応援してくれた人々を内閣の要職に迎え「論功行賞内閣」とも揶揄された。一見、理想的な勝ち方のように見えるが、実は、この「圧勝」と「論功行賞」の2点セットが「応援者へのジレンマ」そのものなのである。
 安倍首相側に、分配できる資源(パイ)がたくさんあればこのジレンマを解消することもできたかもしれない。具体的には利権や金だ。高度成長期など資源がどんどん増えていく時代には、潤沢な利権や金を応援者にばらまくことで彼らの不満を解消することもできた。しかし今は周知の通り、パイが減っていく時代。国のトップといえども分配できる資源は、かつてに比べ激減している。結局、応援者を満足させるためには、閣僚などのポストを与えることくらいしか残っていない。
 閣僚が不祥事を起こしても かつて自分を応援してくれたという恩義があるからすぐにクビにできない。決断できないままズルズルとし、大騒ぎになってやっとクビにする。久間章生防衛大臣への対応はまさにこれだ。農林水産大臣だった松岡利勝氏に対しても、ズルズルと問題を引きずり自殺に追い込んだ。厚生労働大臣だった柳澤伯夫氏の「産む機械」発言も、バッサリ切ることができないから問題が長期化した(個人的には全体の文脈を聞けばそれほど問題発言とは思えないが、大騒ぎになってしまった以上、迅速な対応が必要だった)。すべての問題に対してズルズル、ズルズルしているから決断力のない首相というイメージが固定する。
 小泉純一郎元首相は、マキャベリズムを徹底し「応援者へのジレンマ」を断ち切った。小泉氏も自由民主党総裁選挙で2位の橋本龍太郎氏の約2倍の得票を集めて首相に上り詰めたが、「抵抗勢力」というキャッチフレーズを乱用し、内なる敵を自ら作り出し、彼らを徹底的に叩いて権力基盤を磐石にした。総裁選で協力してくれた亀井静香氏を裏切り自民党から追放し、実力者だった野中広務氏も追い出した。マキャベリのいう「むしろ反乱を起こしてくれた方のが良い」を、自ら仕向けて実践したのである。こうして小泉元首相は、応援してくれた人には恩義があるので強い態度に出られないという応援者へのジレンマを冷徹に断ち切った。
 残念ながら安倍晋三氏には、小泉氏のような冷酷な力強さがなかった。好意的にみれば、安倍氏は小泉氏より格段に優しい人間なのかもしれない。しかし権力闘争の世界では、優しいだけでは務まらない。時にマキャベリ的、小泉的な手法が必要となる。これができず「応援者へのジレンマ」の罠にはまってしまったことが、安倍首相退任の本質的な要因であると私は考えている。

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