夏目漱石「こころ」

こゝろ (角川文庫)
こゝろ (角川文庫)夏目 漱石

角川書店 2004-05
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おすすめ平均 star
star読むたびに違う味わいを感じさせる名作
starこの100年で、人間は少しでも進歩したのだろうか
star現代人の心に響く、普遍的な何かを持っている

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 「自分は寂しい人間だ」「恋は罪悪だ」。断片的な言葉の羅列にとまどいながらも、奇妙な友情で結ばれている「先生」と私。「あなただけに私の過去を書きたいのです…。」遺書で初めて明かされる先生の過去。夏目漱石の代表作のひとつ。
1 先生と「わたし」の関係について
 大学生の私、そして避暑に訪れた鎌倉の海岸で偶然に出会った先生。先生に興味を覚えたわたしは、その後、頻繁に先生の家を訪ねるようになり交流を深めていく。同郷の縁でもなく、大学やサークルなど所属によって結ばれているわけでもない二人の関係は、奇妙と言えば奇妙だ。二人はまるで恋人のように惹かれあっていく。
「授業が始まって、一ヶ月ばかりすると私の心に、また一種の弛みがでてきた。私はなんだか不足な顔をして往来を歩きはじめた。物欲しそうに自分の部屋の中を見回した。…私はまた先生に会いたくなった」(16p)
「…私は先生を研究する気で、その家へ出入りをするのではなかった」(22p)
「…あなたも寂しい人間じゃないですか」(先生の発言、24p)
「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか…恋に上る階段なんです。異性と抱き合う順序として、まず同姓の私のところへ動いて来たのです」(先生の発言、37p)
 若い学生のわたしには、「物足りない感じ」「寂しさ」があった。その心の寂寥を満たすために先生に会いに行った。漱石はそのような若者の心の状態を、「恋に上る階段なんです」と表現する。
 確かに自分自身を振り返ってみても、思春期から20代前半までは、心の中に漠然とした不安が渦巻いていた。その不安は、漱石的に「恋に上る階段」という側面をもつが、別の角度から見れば自分自身に対する不安なのだろう。自分という存在が何なのか、社会とどう向き合っていけばいいのか分からず、心休まるときがないのが思春期の心の姿だ。歌手の尾崎豊的の表現を使えば、「自分の存在が何なのかさえ分からず震えている」「何て小っぽけで、何て意味のない、何て無力な」(15の夜)である。

2 先生とKの心の弱さについて
 先生を自殺にまで追い込んだ、心の傷とはいったい何なのか。
 学生の頃、真面目で一本気なKと知り合い、心を開きあう仲となった。しかし下宿のお嬢さんに、わたしとKは同時に恋心を抱いてしまう。Kから気持ちを打ち明けられたわたしは焦る。そして自分も好きなことはKに伝えないで、お嬢さんの母と直談判し、お嬢さんと結婚する約束をしてしまう。それを聞いたKは2日後、恨み言ひとつ言わないで、首の頚動脈をナイフで切り自殺する。
 先生の心の傷は、恋のために友人を裏切ってしまったこと、それが原因で友人が死んでしまったことにあるだろう。この事件を契機に先生は、自己嫌悪にさいなまれるようになり、家に引きこもり人との交流を避けるようになっていった。
 さらに先生の心の傷には、もう一つ伏線がある。先生の両親は若くして亡くなり親戚に預けられたが、信頼していた親戚に財産問題で裏切られて先生は深く傷ついていたのだ。被害者だと思っていた先生は、いつの間にか加害者になってしまった。先生はそんな自分が許せず、そして最後に自殺した。これが作者・漱石が、先生に与えた状況設定である。
 しかし先生は本当に自殺しなければならなかったのだろうか。
 恋のために友人を裏切る話は何も珍しいことではない。今風にいうと、友人の彼女を取ってしまった、または友人の彼氏を取ってしまったという事例は溢れている。わたしの友人にも、彼女を友人に取られてしまった人がいた。彼は当初かなり落ち込んでいたが、半年くらいで克服していった。友人の彼女や、友人の好きな人を自分も好きになってしまうケースは少なくない。仲の良い友人であればあるほど、その彼女とも接する機会も多くなり、接点が生まれてこれば好きになってしまうこともある。アメリカのロックバンドの曲に「愛は止まらない」(スターシップ)という歌があるように、ひとたび恋に落ちてしまえばもう誰にも止められないことだってある。恋愛と友情が常に両立するとは限らない
 先生の心の中には、友人を裏切ってはいけないという倫理観が強くある。人を傷つけてはいけないという倫理観が強くある。結局、先生の生存本能はこの倫理観の前に押しつぶされていった。現在においてこれだけの倫理観をもっている青年はどれだけいるのだろうか。この強い倫理観は明治期の日本人に特有のものだろうか? 
 わたしは一般論としては自殺否定派なので、本書における先生の自殺とKの自殺については疑問をもつ。「そんなに簡単に命を絶っていいの、あなた」と問いたくなる。このような観点に立つと、先生やKの心が純粋すぎて、脆過ぎることが気になる。世の中キレイ事だけでは済まないよ、という社会に対する冷めた認識と、そこから生まれる図太さがほしい。

ひとのなつかしみに応じない先生は、ひとを軽蔑するまえに、まず自分を軽蔑していた(15p)

 こんな記述は、漱石の文ではなく太宰治の文章と一瞬、錯覚してしまうほどだ。

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(私の本書の評価★★★★☆)
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