怒り

 今日は本当に悪い日だった。
 仕事上で付き合いのある機関から調査ものの書類がきていたのだが、これが非常にめんどくさいシロモノだった。この忙しい時期に調査ものが来ること自体心中穏やかでないのに、それがとても手間がかかる内容だったから、余計に腹立たしかった。さらにモチベーションが下がるのは、それを出したからといって見返りがあるわけではない、ということである。調査もの好きの機関は自分だけでやってくれ、俺たちを巻き込まないでくれ、といつも思う。
 しかししかし、今日のワーストワンは何と言っても、夕方にかかってきた某団体の担当者からの電話だ。こちらがお願いしている案件でということで下手(したて)に出ざる得ないことをいいことに、とても失礼な、人を小ばかにしたような喋り方をする。「なんで、こんな風にするんですか! これじゃ、こっちが悪いみたいじゃないですか」とか「そもそもなんでこの話が・・・ぐじゅぐじゅ・・・」(うーん、やはり文章では、あのイヤミたっぷり感は出ないですね。本当に腹立たしい喋り方するんですよ)
 この手の無礼モノは社会に時々いるが、「同じこと言うにしても言い方があるだろう。言葉遣いに気をつけろ!」といつも思う。その無礼さ、無神経さ。この手の輩というのはどういう精神構造しているのだろう? 自分が抱えている鬱積した不満を、他者に当たることによって解消しているのだろうか。他者の心を傷つけたり、不快にさせても平気な人たち。いやいや、この手の輩は「不快にさせても平気」どころではなく、むしろ積極的に他者を不快にさせたいのかもしれない。もしそうだとすれば、本当に屈折した、歪んだ精神構造だ。2回目の電話がきたとき、ついついに頭にきて、「ちょっと、そういう言い方ないじゃないですか。いい加減にしなさいよ」とその担当者に言ってしまった。
 でも私も少し反省している。この手の無礼さに接すると、わたしはすぐにカッとなってしまい、強く言い返してしまう。それは「他者の心を平気で傷つける人種」に対して私の中に実存的な嫌悪感があるからであるが、瞬間的に感情的に反応してしまった後、しばらくすると、激しく後悔することが常だ。今回もそうだった。「たとえ向こうがケンカを売ってきたとしても、あんな風に言い返すんじゃなかったな」と。
 わたしももう少し辛抱づよくならなければいけない。名著「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」を記した佐藤優氏はその著書のなかで次のように述べている。
「過去の経験則から、私は利害が激しく対立するときに相手とソフトに話ができる人物は手強いとの印象をもっている」(44p)
 わたしも、人の無礼さに対しては、ソフトに切り返すくらいの余裕を持ちたいものだ。最近、特に怒りっぽいかもしれない。感情的になりすぎるケースが増えているかもしれない。目には目を、ではないが、無礼さに対して無礼で反撃していたら、そのうちわたしも「他者の心を平気で傷つける人種」になってしまうかもしれない。そうなったらわたしも終りだ。もっとも軽蔑する人種だから。人の振り見て我が振りなおせ、とはよく言ったもの。明日、たぶん例の団体の担当者から電話があると思うが、冷静に、ソフトに反撃しようと思う。わたし自身、日々、修行である。
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