内藤国夫「悶死―中川一郎怪死事件」

悶死―中川一郎怪死事件悶死―中川一郎怪死事件
内藤 国夫

草思社 1985-02
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 「北海のヒグマ」と呼ばれ圧倒的な存在感を残し、1983年に死去した中川一郎元農相についてのルポルタージュである。中川一郎氏の死去をめぐる疑惑に迫った意欲作であるが、内容的には、一郎氏というより妻の中川貞子氏に焦点が当たっている。ご存知の方も多いと思うが、貞子氏はいまの自民党政調会長中川昭一氏の母でありもちろん昭一氏の父は一郎氏である。ムネオ事件で有名になった鈴木宗男氏は当時中川一郎氏の筆頭秘書であり、一郎氏死後に参院選に立候補し、後継者争いで昭一氏と骨肉の争いを演じた。
 本書を読んで、貞子氏の存在感に圧倒された。もしここに記述されたような人物像が中川貞子氏の姿なら、これほどの悪妻は他にはいないというしかない。もしわたしの妻だったのなら、わたしは気がおかしくなってしまうかもしれない。
 夫の仕事についてこと細やかに口を出し、「鈴木宗男をやめさせろ」「辞めさせなかったら私は出ていく」を連発する。当時の中川一郎氏が鈴木宗男氏に全面的に仕事を任せ、鈴木なしでは仕事ができない状態になっていて、鈴木をクビにすることなどできっこないのに、である。政治家にとっては離婚は「家庭を治められないで天下国家を…」の論理でご法度である。そのような意味では政治家という夫の職業が、貞子氏にとって悲劇だったのかもしれない。
 一郎氏の父のことを「気違い」呼ばわりする(142p)。息子昭一氏の結婚式に、一郎方の親戚を一人も呼ばない。一郎氏の母の危篤時にも見舞いにも行かない。休みの日に一郎氏はゴルフをしたが予定より早く帰ってきたら、「あら、もう帰ってきたの。こんなに早く帰ってきたら、予定が狂って困るじゃないの」と言い放つ。一郎氏は再び車に乗り込み、出かけてしまう(154p)。
 一郎氏はシラフで家に帰ることはほとんどなかったという(51p)。シラフで帰宅すると、貞子氏からグチャグチャ言われるので、それが嫌でいつも足腰の立たぬほど泥酔して帰ったという。一郎氏のみならず、周囲にもヒステリックに愚痴をこぼし騒ぎ立てる。一郎氏死去後には、あらん限りの嘘を並べたコメントや手記を発表し、徹底的に鈴木宗男を極悪人に仕立てようとした。執拗なまでの怨念である。
 結局、一郎氏はうつ病にになってしまい、1983年1月9日、札幌のパークホテルで自殺した。
 もちろん本書の内容だけで、貞子氏の人物像を完全に特定するつもりはない。しかしもし本書に書かれているいくつかの側面でも事実だったとすれば、その夫婦生活は貞子氏にとっても一郎氏にとっても悲劇としか良いようがない。ソクラテスは「汝が良妻を持たば幸福者にならん。悪妻を持たば哲学者にならん」といった。しかしもしかしたら一郎氏は、哲学者を突き抜けてしまい、自ら死を選んでしまったのかもしれないと。

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(私の本書の評価★★★☆☆)
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