李志綏,新庄哲夫「毛沢東の私生活〈上・下〉」

毛沢東の私生活〈上〉
毛沢東の私生活〈上〉李 志綏 新庄 哲夫

文藝春秋 1996-12
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おすすめ平均 star
starもうひとつの「現代中国史」の資料としてこんなに面白い本はない
star単に毛沢東の私生活暴露というだけではなく、中国理解に有用。
star毛沢東の私生活

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毛沢東の私生活〈下〉毛沢東の私生活〈下〉
李 志綏 新庄 哲夫

文藝春秋 1996-12
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 毛沢東は、やっぱり裸の王様だったと思う。大躍進政策人民公社化、文化大革命などに代表される貧困な政策力で指導者としても失格、それでも権力闘争だけは強かったので誰も毛沢東を批判できず、まさに政治上で裸の王様になっていた。そして夜は夜で、同時に3人、4人、あるいは5人以上の女たちとベッドをともにする(下巻287−288p)という性の世界でも裸の王様だった。いや、下半身の王様、という方がより正確かもしれない。
 日本でも戦後の一定期に共産主義思想の熱にうなされていた時があったが、もしそれらの運動が結実し、日本が中国のような共産主義国家になっていたら、と思うと心底ゾッとする。共産主義思想への圧倒的な不信でも書いたが、これまでの世界の社会主義共産主義国家は総じて悲惨な状況に陥っている。安保闘争共産主義運動が成功しなくて本当に良かった。もちろん単純に、資本主義システムはすばらしい、万能だ、バンザーイ!などとは思わないが、共産主義システムよりはるかにマシということだけは確信をもって言うことができる。本書で著者は、毛沢東について、中国共産党についてこう述べる。

最初のうち、私は毛沢東を賛美した。彼は中国の救済者、国家の救世主だった。しかし1976年までには、そんな想いも遠い昔語りになっていた。私が新しい中国にいだいた夢、全人民が平等にくらし、搾取に終止符が打たれる国家という夢はとっくに打ちくだかれていた。党員でありつづけながらも、共産党にはまったく信をおいていなかった(上巻20p)

 いずれにせよ本書は、中国の共産主義運動、共産主義国家の、特に政権中枢部のアラレもない内実を白日のもとにさらしており、共産主義国家を相対化する上で、非常に有益な本であるといえよう。
 本書は、22年にわたり至近距離から毛沢東を観察し続けた主治医・李志綏(リ・チスイ)が書いた毛沢東の人間史である。著者は本書が発売された3カ月後、シカゴの自宅浴室で遺体となって発見された。
1 毛沢東の乱交騒ぎ
 毛沢東の夜の世界での、闇将軍ぶりはすさまじい。本書ではそのエピソードがふんだんに盛り込まれている。 

1961年に、毛沢東の専用の特製ベッドのひとつがダンス会場に隣接する一室にうつされ、主席がダンスの途中で「ひと休み」できるように配慮されたのであった。私はいくども、主席が若い女の手をとり、その部屋につれこんで後ろ手にドアをしめる光景を目撃している(上巻131p)
禁欲主義は文革の表向きの合い言葉であったが、党の教えが禁欲的かつ道徳的になればなるほど、主席自身はさらに快楽的な生活にのめりこんでいった。主席はいつも群がる若い女たちにかしずかれていた。しかも文革の最盛期にあたるこの時期には、毛沢東はときとして同時に3人、4人、あるいは5人以上の女たちとベッドをともにしていたのだった(下巻287−288p)
江西省の党幹部は夜の余興を手配し、同省の歌舞団が公演をおえたあとでダンス・パーティーがひらかれ、毛は大いに楽しんだ。若い看護婦たちもパーティーに合流し、数日たらずのうちに毛は若い看護婦と歌舞団の一員をかわるがわる夜の相手にした。主席の女遊びはだんだんと大胆になっていった(上巻431p)
毛に奉仕しはじめたときにはいずれも年若く――十代の終りかほんの20代すぎくらいで――たいてい未婚だった。毛にあきられて栄光の儀式がおわると、彼女たちは農民出身の教育のない若者と結婚した…67歳の毛は、もともと性的能力が止まると考えていた年齢をすぎていながら、奇妙なことに、その年になってはじめてインポテンツを訴えることが一切なくなったのである(下巻68p)

 毛沢東が国家の最高権力の座についたのは60歳近かったが、そこから毛沢東は女遊びをエスカレートさせていった。自分の健康管理を担う若い看護婦、歌舞団の女性ダンサー、党中央警衛団所属・北京軍区・空軍・特別鉄道師団などの文化工作隊から、容貌・タレント性・政治的信頼性を基準により抜きの美女たちが選ばれ、主席の夜遊びに投入されていった。毛沢東は歳をとるにつれ快楽生活をエスカレートさせ、インポテンツを克服し、そして時に5人以上の女たちとベッドをともにするようになる。恐るべき性への欲望、恐るべき体力、エロエロ魂である。大躍進政策人民公社化の政策が大失敗し多数の餓死者を出しているにも関わらずのこのハーレム生活。文化大革命時には、自分以外の国民には厳しく禁欲生活をもとめて、時にはその禁を破った者は「反革命分子」として葬り去っていたにも関わらず、自分だけは快楽至上主義なのである。毛沢東の恐るべき自己中心主義、ジャイアニズム、無神経ぶりだ。とっかえひっかえハーレム生活は多くの男性(女性も?)が一度は夢見ることかもしれないが、それを現実の世界でやってしまうところに独裁国家の恐ろしさがある。
 歌舞団の女性ダンサーを相手に夜遊びする、って最近どこかで聞いたなぁと思ったら、北朝鮮金正日(キムジョンイル)のことだった。あそこも独裁国家だから驚くにあたらない。
2 国家中枢部での権力闘争(特に権力空白期にて)
 本書で面白かったことの一つに、国家中枢部の権力闘争のあり様が手にとるように描写されていることである。特に毛沢東が死んだ直後、権力の空白が生じたとき、その側近たちがどう動いたのかは、非常に興味深い。

毛沢東が死んで)私たちのおおかたが病室を出ていこうとしたとき、張玉鳳が不意に泣きじゃくりはじめた。「主席が亡くなられた」と彼女は叫んだ。「このわたしはどうなるんでしょう」。すると江青が近づいて、いかにも気づかうように片腕を彼女の肩にまわし、もう泣かないでね、と強く言ってほほえんだ。「これからはわたくしのために働いてね、と強く言ってほほえんだ。「これからはわたくしのために働いてね」と、江青は言った。たちまち張の流れる涙はとまり、破顔一笑した。「江青同志、ほんとうにありがとうございます」(上巻24p)
主席の病気中にはじまった権力闘争はいまや、主席の文書や書類をめぐっての争奪戦に集中していた(上巻36p)

 毛沢東の妻の江青は、4人組の仲間たちとともにクーデターを画策し、それを察知した当時の首相の華国鋒は、汪東興、葉剣英ら軍・警察のトップとタッグを組み、4人組逮捕に乗り出す。江青は逮捕を通告され、「お前もか! 前々からこの日がくるのがわかっていた」と叫ぶ。江青をはじめとする4人組の逮捕で文化大革命は終焉をむかえ、華国鋒時代がはじまる。しかしすぐに訒小平との権力闘争がはじまり、5年後に華国鋒は党主席の座から引きずり降ろされ、訒小平時代がはじまることになる。
3 その他興味深かった記述

いろいろな職場で右派分子の摘発が割当制になっていたという事実だ。どこの職場でも、要員の5パーセントが右派分子の罪ありと宣言しなければならなかった。間違いなく右派分子であるのかどうか、ということは関係なかった。数十万の人々が誤って告発されたのであった。…毛沢東が政敵や反対者をただちに殺さなかったのは事実である。しかしながら、「思想改造」「労働改造」にともなう肉体的、精神的な辛酸はしばしば拷問にひとしいゆるやかで痛ましい死を意味した(上巻301p)

若者の1グループが「紅衛兵」と名のる造反グループを結成していたのである。毛沢東はこの組織をほめたたえ、「造反は正しい(造反有理)」と述べた。毛の言葉は学生の刊行物に転載され、たちまち全土にいたるところで若者たちのスローガンとなっていった。紅衛兵グループは全国の大学、高校、中学に続発しはじめる(下巻227p)

問題は、毛が現代的な教育をまったく受けておらず、現代世界がどんなものであるのか、また中国がいかにしてそれに参加すべきかということを、まったく分かっていなかった点にある。21世紀は前進しつつあり、毛は19世紀的な世界にはまりこんだまま国を指導してはいけないのであった(下巻60〜61p)

「だれが歴史をつくるんだーー労働者、農民、勤労人民か――それともだれかほかの者か」。毛は依然、科学者や知識人ではなくて労働者と農民だけが歴史をつくるのだと確信していた。農民の反乱こそ中国史の駆動力なのであった」(下巻115p)
周恩来毛沢東の奴隷であり、完全無欠なまでに従順なのだとさとった。周恩来のなすことすべては毛沢東の寵をえようとするのが狙いなのだ(上巻361p)

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(私の本書の評価★★★★☆)
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