鈴木宗男「反乱」

反乱
反乱鈴木 宗男

ぶんか社 2004-04-26
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star鈴木氏の言い分
star鈴木宗男鈴木宗男を語る。

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 鈴木宗男は演説の天才だ、と思っている。
 これまで数度、彼の選挙演説を真近で聞いているが、その声の迫力、話の面白さ、そして独特のオーラといったら、他の議員や候補者は足元にも及ばない。こんなエネルギーの塊のような人はみたことない! と度肝を抜かれる。
 鈴木宗男氏の演説があると聞けば、年老いたおじいさん、おばあさんや地域の人たちが、ぞろぞろ、ガヤガヤと集まってくる。こんな田舎にこんなにたくさんの人がいたのだろうかと思うくらい人が集まり、鈴木氏の演説を真剣に聞き、彼のトレードマークのクマさんの旗を振っている。もちろんこれだけ人が集まるのは、彼の演説のうまさだけではないだろう。これまで彼が北海道の田舎に対して果たしてきた成果を、地域の人たちは良く知っているし、これからも頼りにしたいと思っている。だから政権与党の自民党から離れ、地域政党新党大地を立ち上げても、さきの選挙のように彼のもとに票があつまる。たたき上げだから、彼の政治活動のやり方にスマートさはないかもしれないが(だからムネオ騒動ではあれだけバッシングされた)、確実に成果をだす、その実行力が彼の政治家としての魅力の源泉だろう。
 あの手の政治家に頼るとは、さも田舎的な状況だね、と都会の人たちは相対化するかもしれない。
 しかし市場原理のみを追求すれば、経済効率の悪い田舎は日本からなくなってしまう。これは確実だ。深刻な国や地方の財政赤字を危惧し、公共事業や交付税交付金不要論をぶつ人たちは、一度冷静になって、都会だけしかない日本の姿を想像してみてほしい。
 金太郎飴のような、同じような都市しかない日本を、そんな単調な日本を、果たして我々日本人は愛着をもつことができるであろうか。やや抽象的にいえば、多様な地域が共生しあうような日本が、これから目指すべき日本の姿だと考える。そのためには田舎も元気でなければいけない。
 誤解のないように付け加えると、私は鈴木宗男氏の支持者でもないし、根っから地域主義者でもない。しかし、多様な地域が共生する日本を作っていくためには、政治、そして行政が果たす役割は今後もつづいていくと思う。もちろんこれまでのような公共事業を続けていれば良い、交付税交付金地方自治体にばら撒いてさえすれば良い、とは毛ほども思っていない。新しい地域を作っていく、という意味での改革は絶対に必要だと思うし、そのような問題意識で日々、働いているつもりだ。しかし、改革が必要だからと言って、財政指標だけみて、公共事業や交付税交付金をなくしてしまえ、という立場には立たない。
 話が脱線してしまった。冒頭に戻って、演説上手の鈴木氏だが、彼の演説で唯一ひっかかる点がある。それは「わたしは涙しました」を連発することだ。本書においても、冒頭から鈴木氏は娘の言葉に涙するが、「波が出た」という表現だけでは、その感動が聞き手や読者に、いまいち伝わってこない。家族の言葉に涙し、そして支援者の言葉に涙する鈴木氏は、感激屋で、人情に厚い人物だろうことは容易に想像つくが、「わたしは涙しました」というストレートな表現では、彼の感激が読者に十分に伝わらないと考える。
 かつて本多勝一氏は名著「日本語の作文技術」のなかで次のように述べている。

・・・美しい風景を描いて、読者もまた美しいと思うためには、筆者がいくら「美しい」と感嘆しても何もならない。・・・その風景を著者が美しいと感じた素材そのものを、読者もまた追体験できるように再現するのでなければならない(213p)

 ここでの「美しい」を、「感激して涙が出た」に置きかえてもそのまま通じる話であろう。またこれは文章の作文技術だが、演説で語る時にも当てはまると考えられる。鈴木氏がどのような状況に置かれ、その苦しみの中で娘の優しい言葉に感激したかを、その状況説明をもう少し丁寧に話してくれれば、彼の感動も共有できるのかもしれない。わたしが文章を書くのなら、「涙した」という直接的な表現はとらず、状況説明をした上で「体の奥の方から温かい感情がこみ上げてきた」などの表現と使うであろう。
 本書は、鈴木氏の半生を描いた、自らの筆による自伝である。事件のことも、バッシングのことも非常にオブラートに書いているので迫力はいささか欠けるが、鈴木氏の生い立ち、スタンス、思想に触れたい人には参考になる書だ。
「努力に優る天才なし」(4p)
 それが彼の半生だったのだろう。

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(私の本書の評価★★★☆☆)
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