黒澤明監督「生きる」

生きる
生きる志村喬 黒澤明 小田切みき

東宝 2003-03-21
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star噂は本当なのだろうか?
star★5つしかないのが残念。不朽の名作。あなたならどうする。私な

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【冒頭のシーン】
 住宅横の空き地問題について困っている主婦たちがこぞって町役場に相談に来た。市民課の窓口で役場の担当者に話しかける。
主婦たち 「あの、…で困っているんですけど」
対応する市民課の役人 「あっ、それは土木課ですね」
 土木課の窓口に向かう主婦たち。
主婦たち 「…で困っているんですけど」
対応する土木課の役人 「それは公園課」
 公園課の窓口に向かう主婦たち。 
主婦たち 「…で困っているんですけど」
対応する公園課の役人 「それは上下水道課」
 この後も、役人のたらい回し対応はつづき、ついに主婦たちが怒鳴る。「バカにしてるんじゃないよ!」
 このシーンを見て、苦笑している現役公務員の方々も多いだろう。なぜならこの縦割り体質は今でもほとんど変わっていないのだから。この作品が作られたのは1952年、今から50年以上も前の作品だが、社会風刺の作品としては現代でも十分に通じる映画である。
1 生きることの意味を正面から問うた作品
 本作品は、黒澤明監督が現代社会において「本当に生きる」ことの意味を世に問うたヒューマン・ドラマである。無気力な日々を過ごしてきた公務員の渡辺(志村喬)は、ガンであと半年の命と知らされ苦悩するが、一念発起して、それまで放置されてきた地域住民要望の公園計画を実現するために努力していく。黒澤はここで、生きるとは、本来の職務を全力でまっとうしモノをつくることだ、というメッセージを出す。また一方で本作品は、縦割りでのルーティンワークに甘んじる、役人をはじめとする人々への強烈な批判にもなっている。
2 映画史に残る葬儀シーン
 後半部からラストへつづく長い長い葬儀の場面は、映画史上に輝く傑作シーンであろう。
 葬儀に参加した役場職員らは、葬儀会場で、故人渡辺のことについて話しはじめる。話題は、この半年間の渡辺の、公園造成にむけての鬼気迫る働きぶりのことである。はじめは「公園造成は町の上層部と議員が動いたから可能になったんだよ」と言い合っているが、渡辺の猛烈な働きぶりエピソードが次々と紹介される中で、場の雰囲気は変わり、渡辺を評価する流れになる。酒の量も増えてきて、話題は役所批判におよぶ。
「あすこ(役所)は何もしてはいけないところなんですよ。何かしたら過激行為になる」
「あの複雑な仕組みの中では(何もできない)」
そして最後は、役場職員たちの絶叫に上り詰める。
「渡辺さんに比べれば、われわれは人間のクズだ」「僕は生まれ変わったつもりでやりますよ」「渡辺さんの後につづけ」「僕はやりますよ」「がんばるぞ」「この感激忘れるな」
 ところが次の日…。
相談に来た住民 「あのう、…で困っているんですけど」
対応する役人A「あっ、それは土木課ですね」
 いつもと変わらぬ風景だった。
4 酔いと冷めの落差について
 酒の席での「やるぞー!」から酔い冷めての変らぬ日常。われわれは社会で生きていく中で、この激しい落差に何度も出会うことがある。わたしの職場でも良く見る風景だ。飲み会で「やるぞー!」「変えるぞー!」とさんざん吼えたのに、次の日はケロッと忘れて、いつもどおりのルーティンワークに安住する人たちのことだ。そのたびに、失望する。昨日の決意の絶叫は何だったのか、と問い詰めたくなる。
 もちろん職場や社会のものごとはすぐに変えられることは多くないし、重大なこと、本質的なことこそ変えるのに時間がかかるものなので、酔いの次の日にいつもどおりのルーティンワークをすること自体は非難されるべきものではない。今はおとなしくしていても、タイミングを見計らって虎視眈々と変革を狙えばいい。しかし、世の中には、酒の席で「やるぞー!」と叫ぶだけ叫んでおいて、実際は変える気もない人たちがたくさんいる。よく言う、口だけ人種だ。この口だけ人種ほどたちの悪い人たちはいない。そもそもやる気がないなら、偉そうなこと言わない方がよっぽどマシだ。
 「生きる」の葬儀シーンは、この酔いと冷めの落差を圧倒的なリアリティでもって描いている。
5 その他
 最後に、その他気付いた点を2点ほど書いておこう。第一は、公園造成することに地域住民が手放しで喜ぶという本作品の設定が、非常に1950年代的設定、つまり戦後復興期から高度成長期にさしかかる頃の時代設定だな、と思った。ハコモノ(公園)を作れば住民が喜こぶ時代、という意味である。今なら行政がハコモノを作っても、地域住民に手放しで喜んでもらうことは望めず、逆に激しく批判される可能性すらある。
 第二は、志村喬の好演についてである。志村は、無気力で、老いぼれた役場職員の役柄を見事に演じきっている。彼なしでは本作品は、これほどの評価を得ることができなかったであろう。今回初めて気付いたのだが、この映画での志村の表情は、哀愁を漂わせている時のチャップリンの顔に似ていた。
(私の評価★★★★☆)
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