ポルポト共産党のやったこと

1. ポルポト政権の政策

私有財産の撤廃
②都市を解体して、都市民を地方に強制移住させる。
③集団生活と集団労働の強制
④明確な階級社会を作り、クメール・ルージュやかつて解放区にいた人たちを優遇し、前政権下にいた人たち、知識人や医者を冷遇し、そして虐殺する。
⑤閉鎖的な完全無情報社会を作り、隔離する。
 このような状況を作り上げ、ポルポトは国民の1/3に当たる200万人を死に追い込んだといわれている。特に①を行なって人々をかく乱させ、隔離してしまうのは、国内レジスタンスを押さえ込むには良い方法だと思う(だからポルポトは良いと言っているわけでもちろんない)。この方法で1975年から4年間は、ポルポトは国内レジスタンスを完全に押さえ込むことに成功した。

2. ポルポト政権成立の背景

 ではなぜポルポトはこのような極端な政策を強行できたのであろうか。その社会的背景は何だったのか。本多勝一「検証カンボジア大虐殺」(朝日文庫)の座談会の章で、この問題が触れられている。
 この座談会で朝日新聞の井川一久氏は、これが可能になったのはベトナム戦争と、その背後にある大国の思惑だった、という。ベトナム戦争の影響で、カンボジアでもベトナム解放軍が戦い、これに刺激をうけてカンプチア民族統一戦線(特に赤色クメール)が育つ。しかしカンボジアは歴史上1回も飢饉を経験していないほどの豊かな国だから、国民の中に革命志向があるわけがなく、カンプチア民族統一戦線には支持は集まらない。ところが中国がこれを強力にバックアップしたため、実権を握ってしまった。(387p 414p)
 たまたま権力を握った少数派がその権力を維持しようとすれば、対抗勢力を徹底的に潰し、そして一般国民に対しても強権的に押さえつけるしかない。そこで考えたのが上記の国民かく乱・強制労働政策であったのだろう。
© 2004 Haru

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