ハイン・ニョルほか「キリング・フィールドからの生還 わがカンボジア殺戮の地」

haruo72004-10-23


キリング・フィールドからの生還―わがカンボジア「殺戮の地」
ハイン・ニョル ロジャー ワーナー 吉岡 晶子

光文社 1990-05
売り上げランキング :
おすすめ平均

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

1. 作品概要

 本書は、カンボジアポルポト政権下の強制労働・虐殺の実態を、被害者であるカンボジア国民の視点から描いた作品である。著者は、映画『キリング・フィールド』で助演し一躍有名になったカンボジア難民、ハイン・ニョルだ。これまでポルポト政権時代について書かれた書籍は多いが、外国人記者や外国人研究者によって書かれている文献が多く、実際の被害者であるカンボジア国民が書いた文献は少なかった。本書は、被害者のみぞ語り得る生半しいエピソードがいくつも紹介されており、ポルポト政権下の国民の生活実態を知る上で、非常に参考になる本である。
a. 本書と映画『キリング・フィールド』
 ハイン・ニョルが助演した映画『キリング・フィールド』は確かに名作だと思うが、本書を読むと、映画のストーリーはポルポト政権下の実態をかなりマイルドなものに薄めており、実際はさらにヒドく、目を覆わんばかりの悲惨な生活だったことが分かる。籐で作ったムチで打たれながら農作業を強制される農民、万力で頭を締め付けられて拷問される農民、妊婦の腹を切り裂いて胎児を引きずり出すクメール・ルージュ…。
 特に印象に残っているのは、主人公ニョルの中学校時代の恩師だった先生が、革命後にニョルの生活する地区のクメール・ルージュ幹部として赴任したというエピソードだ。人目を盗んで彼に接近し自己紹介したものの、彼の言葉は
「きみことも覚えておるよ。…黙って作業をつづけたまえ」
 ニョルは失望するが、その元先生は1年後、タイ国境へ逃げ出す…(187〜206p)。まるでハリウッド映画のシナリオのような話。ウソのような本当の話。
b. 読ませる文章
 この本が読みやすいのは、老練のアメリカ人ジャーナリストが構成・執筆しているからであろう。本書は、アメリカ人ジャーナリスト:ロジャー・ワーナーが、ハイン・ニョルに丹念に聞き取りをおこない、ワーナーの筆によって書き上げられている。ハイン・ニョルの激動の半生を、彼の人生のターニング・ポイントに焦点を絞り、コンパクトに紹介してあるので、とても読み易く、一気に読んでしまった。340pのボリュームだが、ページの多さを感じさせない、惹きつける文章である。

2. 作品評

 本書を読んで感じた点を次の3点にまとめてみた。
a. 悲劇は突然やってくるのではなく下地があった
 私は本書を読むまで、カンボジアの革命前後の状況は次のとおりではないかと思っていた。つまり、それまで平和だったカンボジアポルポト政権の登場によって、突然不幸になった。しかし実際は、ポルポト時代以前にも、程度の差こそあれ暗黒の時代はあったのだ。つまりポルポトの前のロン・ノル政権時も賄賂が横行し、兵士や政治家は日常的にたかりを行っていたという。首都プノンペンは貧富の差は激しくなり、またベトナム系住民を差別し、何千というベトナム系住民を虐殺した(46〜48p)。ロン・ノル政権は露骨なアメリカ傀儡政権だったことも、カンボジア国民の心証を著しく悪くした。このプチ暗黒が*1、真正暗黒のポルポト政権を呼び込んでしまう。ここにカンボジア近代史の悲劇があった。
 このプチ暗黒の中でカンボジア国民は、新しく台頭しつつあるクメール・ルージュ派(のちのポルポト派)に対して、「ロン・ノル政権よりはひどくはないだろう」と素朴に思ってしまう。著者ニョルが言うように「ロン・ノル政権の腐臭をかがされていたので、コミュニストは爽やかなそよ風のように思えた」のだ(54p)。
 この感情を国民に植え付けさせたのは、ロン・ノル政権の評判の悪さはもちろんだが、もう1点挙げると、クメール・ルージュ派の秘密主義もあるだろう。当時、反体制闘争をしていたクメール・ルージュ派について、国民はその実態をほとんど知らなかったという。これらの点が、カンボジア国民の安易なクメール・ルージュ支持につながってしまったのだろう。結局はコミュニストを勢いづかせてしまった。
b.冷戦構造における大国の思惑に翻弄されたカンボジア
 カンボジアの近代史は、冷戦構造下での大国の思惑に翻弄され続けた歴史ということができよう。ロン・ノル政権を支援したアメリカ、クメール・ルージュに早くから援助の手を差し伸べた中国、そしてソ連の援助を受けたベトナムアメリカ、中国、ソ連という3大国の思惑に、カンボジア、そしてベトナムをはじめとする東南アジア諸国は弄ばれてきた。中国がクメール・ルージュを支持することがなかったら、発足当初は弱小集団であった彼らが政権をとることはなかったであろう。そもそもアメリカがベトナムに介入しなかったら、シアヌーク政権がずっと続いていたかもしれない。冷戦構造下における大国のつばぜり合いが、ポルポト派を育て、ポルポト政権を誕生させ、虐殺を放置させたのである。
c.中国の文化大革命の影響をうけまくったポルポト政権
 ポルポト政権の主要政策(都市民の地方への強制移住、知識人や医者の排除)は、中国の文化大革命のそのまま写しである。ポルポト政権は、思想も、政策も、そして武器・資金援助を中国に頼りまくった。ポルポトは、「民族自立」というスローガンを毎日のように国民の叫ばせていたのに、発足当初から「民族自立」どころか、中国におんぶに抱っこ状態であったのはお笑いである。しかしよく考えてみると、これまでの社会主義政権、共産主義政権というのは、理想・理念が先行し過ぎて実態がまったく伴わない、というのが常であったのだ。ポルポト政権は、共産主義政権が持つこの特性を、極度なまでに実現しまった政権と言えよう。
キリング・フィールドからの生還―わがカンボジア「殺戮の地」
(評価★★★★☆)

よかったら投票してください→人気blogランキング

><

*1:あくまでもポルポト政権の暗黒ぶりに対して「プチ暗黒」と呼んでいるのであって、ロン・ノル政権下の状況が大したことなかった、と言っているのではない。