司馬遼太郎「竜馬がゆく」

竜馬がゆく〈1〉
司馬 遼太郎

おすすめ平均
幕末入門書
IT維新/経営者のバイブル
いわゆる「心が洗われる」思いになれます
論破しても人は動かんぜよ
時代の先を行く、竜馬の生き様に感動。

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 大学時代に、里山研究をやっている先生の研究室に遊びに行ったときに、
「これ、めちゃんこ面白いぞ」
 と先生から勧められて読んだ本。読んでみるとすぐに夢中になり、全8巻という長編にも関わらず2日で読んでしまった。
 本書は、身分がそれほど高くなかった坂本竜馬という青年が、幕末の動乱期の中でメキメキと実力をつけ、最後には天下を動かすようになる、そんなサクセス・ストーリーだ。司馬は、その卓越した取材力をベースにして、竜馬が辿ったドラマティックな人生を、色恋沙汰も含めて数々のキラ星エピソードを織り交ぜながら、見事に描き切っている。一級の娯楽読み物として本書は仕上がっている。

1.薩長同盟の仲介という竜馬の偉業  
 竜馬の3つの偉業について、本書は以下の3点に整理している。
薩長同盟の仲介
大政奉還のアイデアを実現させる
③民主主義国家の構想
 わたしが最も感銘を受けた竜馬の仕事は、①の薩長同盟の仲介だ。この仕事に込められた竜馬の信念に私は共鳴した。竜馬の信念とは、つまりは経済重視の思考である。それはこういうことである。
 当時の薩長関係は最悪だった。それは、今の日本と中国との関係よりはるかにヒドかった。徳川幕府に対するスタンスの違いから戦争までしていた。しかし、ペリー来航以来、機能不全に陥っている徳川幕府を転覆させるためには、当時の地方の雄であった薩摩藩長州藩が手を結び、共同戦線で幕府に対抗するしか、手立てはなかった。そこで竜馬は考えた。
薩長の実情をよく見、犬と猿にしてもどこかで利害が一致するところはないか」(6巻114p)
 当時の薩摩藩は米不足に悩まされていた。一方、当時の長州藩徳川幕府の軍事的圧力に押されていた。竜馬はここに目をつける。そして奇策を発案し、早速行動に移した。
 貿易をさせて、薩長を結び付けるアイデアだ。つまり、竜馬が仲介役となり、長州藩の豊穣な米を薩摩藩に送り、それと引き換えに薩摩藩は軍艦や鉄砲などを長州藩に送る交易ルートを作る。それぞれの藩の強み、弱みを冷静に見極め、手を結ぶことで、お互いにとって利益が出る構図を竜馬は作り出したのだ。「主義をもって手をにぎらせるのではなく、実利をもって握手させ」るのである(6巻113p)。竜馬のこの奇策により交流がはじまった薩長は、1866年についに軍事同盟を結ぶ。薩長同盟の締結である。
2.やり手の政治家だった竜馬(経済重視の思考)
 この実利重視、経済重視の思考に、わたしは坂本竜馬の本質を見る気がする。現実主義者であり、やり手の政治家だった竜馬の姿がそこ浮かび上がってくる。
 犬猿の仲だった薩長を主義主張や議論だけで手を結ばせようとしても、薩長同盟は成らなかっただろう。それは主義主張というのは、社会学マックス・ウェーバーが述べているように、特定の価値観からの論理構築物に過ぎず、そのベースとなるそれぞれの価値観は、互いに解きがたい争いの中にあるからだ。議論したからと言って、解決するようなたぐいの問題ではない。この価値観の対立のことをウェーバーは「神々の争い」と呼び、それを決着付けるものは議論などではなく、「運命」であると喝破した*1
 もちろん竜馬はこの学問上の議論を知るよしもない。ウェーバーの仕事は竜馬死後のものだからだ。しかし竜馬は、主義主張のもつ限界を直感的に掴んでいたのであろう。薩長同盟仲介の仕事の仕方はまさにそれを踏まえているし、議論の限界については下記のような発言もしている。
「議論などは、よほど重大なときでないかぎり、してはならぬ、と自分にいいきかせている。もし議論に勝ったとせよ、相手の名誉をうばうだけのことである。通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと、持つのは、負けた恨みだけである」(5巻53〜54p)
 この「通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きもの」の部分が、ウェーバーの神々の争い議論と親和性がある。
 いずれにせよ竜馬は、「主義をもって手をにぎらせるのではなく、実利をもって握手させ」る、経済重視のやり方で薩長同盟を実現させた。このエピソードを読んで、わたしは改めて、歴史を動かしていく経済の底力を見せつけられたのである*2

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3.司馬の卓越した文章表現
 本書を読んで、何度も「うまい!」と思える表現に出会った。司馬遼太郎の文章技術の高さを再認識させられた部分だ。
「…眼の前でにこにこ笑っている青年が、幕府をふるえあがらせるほどの大立物になろうとは夢にも予想できない」(1巻40p)
「竜馬は、品川陣屋へ飛ぶように駆けた。というより竜馬は、このときから、自分の人生にむかって、とぶように駆けはじめたといったほうが当たっているだろう」(1巻72p)
 この2つの表現は、あとに続く文章に期待を持たせるうまい表現だ。
 また次の文章は、若者の燃え上がる気持ちをたくみに表現している。
「…桂小五郎はいきなり竜馬の手をにぎった。小五郎は、十分に若いのだ。ふつふつとこみあげてくるものに堪えかねて、手がふるえた。『やろう』」(1巻113p)
竜馬がゆく〈1〉
(私の本書の評価★★★★☆)

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*1:マックス・ウェーバー,1936:53-55p,職業としての学問、岩波文庫

*2:ただし本書はあくまで小説なので、すべてがの記述が史実に忠実なわけではない。司馬の膨大な史料調査があったにせよ、創作の部分は必ず出てくるので、ここで私が「やり手の政治家だった竜馬」などと人物評価を書くのも、あくまで本書に描かれている範囲内においての坂本竜馬像を述べたに過ぎないことを再確認したい。