ランボー「ランボー詩集」

ランボー詩集
ランボー Arthur Rimbaud 鈴村 和成

思潮社 1998-12
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 フランスの早熟の詩人ランボー(1854〜1891)は、後世の多くの詩人に影響を与えた。彼が驚異的なのは、彼の代表的な詩の多くが16〜19歳の間に作られたということだ。傑作と呼ばれている「酔いどれ船」が17歳の時の作品だから、その早熟ぶりには狂気じみたものを感じる。解説を読むと、想像どおりランボーは非常に気難しい性格だったそうだ。

1.ランボーとの出会い

 どんなきっかけだったか正確に覚えていないが*1、私は大学に入ってすぐにランボーの詩を読むようになった。大学3年の夏に参加したモンゴル遠征隊時の日記は、日記というより詩ばかりが書いてある代物だが、その創作詩のいたるところにランボーの影響が見てとれる。影響どころか、「我が放浪」「戦禍」は当時の日記に丸写しされているので、多分、モンゴル遠征時に本書を持参していたのだろう。
「ミューズ(詩神)どの、僕はそなたに忠実だ、 ああ、なんと素敵な愛情を僕は夢見たことだった!」(我が放浪)
「機関銃の吐き出す真紅な血へど  終日、真澄の空かけて、うめきつづけ」(戦禍)

2.久しぶりにランボー再読

 しかし、今29歳にしてもう一度ランボーを読み直したが*2、昔あれだけ熱心に読んでいた詩が、上述の2作品以外はいまいちピンとこない。傑作と呼ばれている「酔いどれ船」は、もともと難解なこともあり、とても最後まで読めなくて放り出してしまった。私はモンゴル遠征隊後に大学院に進学し、サイエンス(科学)というものをみっちり学び(?)、この20歳台前半の過程で、私は間違いなく論理的にはなったと思う。しかし一方で、詩を楽しむといった芸術的感性といったものは減退してしまったのかもしれない。そんなことを今感じている。

3.無意識の作用の不思議さ

 私が6年前にNodeという雑誌に連載していた探検記に「パキスタン部落探検」というタイトルの文を書いたことがある。その文の小タイトルのひとつに「のぞき見する女たち」と書いてあるが、これはランボーの「のぞき見する子どもたち」という詩タイトルとまったく同じである。当時の連載中には意識していなかったが、潜在的ランボーの詩のイメージから来たタイトル付けであることは間違いない。人間の無意識の作用というものは不思議なものだ。
「太陽がたった一人、地平線を目指すように 僕もたった一人、地平線を目指すのだ」(モンゴル遠征出発のときに私が書いた詩。これはランボーの影響をあまり受けていない、と思う)
ランボー詩集
(評価★★☆☆☆)

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*1:たぶん私の好きな歌手ボブ・ディランランボーから影響を受けた、という記事をどこかで読んだのがきっかけだろう

*2:2004年2月23日に読み直し