沢木耕太郎「檀」

沢木 耕太郎

おすすめ平均
最後の一文
こんな人生・・・
静かに心あつく。
ノンフィクションの手法と私小説の融合
「火宅の人」と表裏小説。妻の目から見た檀一雄

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1.作品概要

  ベストセラー「火宅の人」で有名な作家・檀一雄の妻の物語。妻である檀ヨソ子の視点から、流行作家の夫(一雄)との夫婦生活を回想したルポである。有名作家の妻、愛人を持つ作家の妻という特殊な境遇のもとでの生活が、沢木耕太郎の熟練の筆によって丁寧に描写されており、あたかもその情景が目に浮かぶようだ。
 愛人宅での生活をメインにし、家にはたまにしか帰って来ない夫の一雄と、それを待つ家族。こんな家族の形ってあるんだ、と物珍しさに駆られて一気に読んでしまった。一雄の数々の仕打ちに「何でそこまでされて離婚しないのだろう?」と思うことたびたびだったのだが、それは、大正生まれのヨソ子夫人の世代と、われわれの世代との感覚の違いかもしれない。本文は「わたし」という一人称で語る文体となっており、まるでヨソ子夫人の筆による自伝のような雰囲気が漂っている。

2.沢木作品の中では異色作「檀」

 しかし読後の最大の疑問は、筆者の沢木耕太郎がなぜ檀ヨソ子という女性を主人公としてルポを書こうとしたのか、その動機だ。この疑問は読む前から私の中にあった。そして読み進むうちにその疑念はさらに広がり、読後はいっそう分からなくなった。
 沢木のこれまでの作品は、「一瞬の夏」や「敗れざる者たち」のように、まだこれからがある若い人たちが主人公であることが多かった。沢木は、若い人たちの挑戦する姿勢に共感しながら、応援するようにルポを書いてきた。そこには、これからを生きる者たちの希望を必死に紡ぎだそうとしてる沢木の姿があった。
 ところが今回の主人公のヨソ子夫人には、これから人生を切り拓いていこうという意味においての希望は少ない。沢木がヨソ子夫人を取材したのは、夫人が70歳の時なのだ。年齢差別をするわけではないが、ボクシングで世界チャンピオンを目指す(「一瞬の夏」)など、その手の挑戦ができる年齢ではない。この作品は、つらい人生を送ってきた女性の半世紀の物語である。ここには若者の中にあるような希望はない。そのような意味において本作品は、沢木の作品らしくない。カテゴリーで分ければ、沢木の異色作である「テロルの決算」の範疇にはいるであろう。

3.なぜ沢木はヨソ子夫人を選んだのか?

 沢木はかつてノンフィクションを書く姿勢について、次のように語ったことがある。
「・・・他者のことなんか書けると思う? 書けっこないよね。だってそうじゃない。自分自身のことすら満足にわかっていない人間が、どうして他者のことを書けると思う? でもさ、そうでありながら、どうしてもある人間のことが気になって、それでどうしようもなくその人間に向かって『自分は自分のことすらよくわかってないんですけど、でも、どうしてもあなたのことが気になるんです。あなたのことを、どうぞ、書かせてもらえないでしょうか』って真摯にアプローチしていくことから僕らの仕事は始まるんじゃないのかなぁ」(「王の闇」文春文庫解説)
 ここでの「あなたのことが気になる」というあたりが沢木のルポライターとしての原点なのだろう。この「気になる」という感覚は、論理的に他者に提示できるようなたぐいのモノではなさそうだ。それは、人生の分岐点での判断のような、不合理で、なにか分からないものに突き動かされているような感覚なのかもしれない。
 わたくし事で恐縮だが、わたしは学生時代に探検部という怪しいクラブに入ったことによって人生が一変した。林学を修め今の仕事につくようになったのも、探検部生活の影響が大きい。その探検部にわたしが入部したきっかけは、沢木の「気になる」という感覚と同じだ。札幌のど真ん中にある、ボロ家の部室のことがずっと気になって、気になってしょうがなかった。不合理で、なにか分からないものに突き動かされていた。ある日、意を決して扉をたたいて、わたしの探検部生活がはじまった。
 話を元に戻そう。沢木はなぜヨソ子夫人を主人公にルポを書こうとしたのか? それは沢木の中に、挑戦する若者たちへ共感する感性のほかに、ヨソ子夫人のようにひたすら耐え忍んできた人たちに対して共感する感性もあったからではなかろうか。そう、沢木は、檀ヨソ子夫人が気になって気になって仕方がなったのだ。

(私の本書の評価★★★☆☆)
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